「ジーニン。やっと見つけた」
 正義はいきなり顔を掴まえられ、唇を奪われた。
 久美が振り返って見たものは、見知らぬ留学生と正義が接吻する所だった。
 周りから、おお、とどよめきが起こった。
 掲示板を見たばかりの正義に、いきなりくちづけした女は首に腕を回してきた。その目は感動に熱く潤んでいる。当の正義は突然起こった出来事に、再起動しなければならない状態になってしまっている。
「あんたたち、なにやってんのよ! 」叫んだのは久美だ。「離れなさいよ、破廉恥でしょうが! 」言いつつ、無理矢理正義と女との間に入り、二人を退けた。
 久美は金髪をひと睨みするとすぐ正義に向き直り、その肩をつかんで揺さぶった。それでも効果がなかったので、手のひらをグーの形にして、右と左の頬を往復させて殴った。
「おお、久美。どうした」
「何寝ぼけた事言ってんのよ。あんた、あの女とどういう関係なの」
 いったん停止していた思考が再び動き出す。まずその女を見る。女は微笑してこちらを見ている。白紙状態にある正義の脳内に、ふと単語が浮かんできた。
「アメリカに」
「アメリカに? 」久美が復唱する。単語は次々と浮かんできて、ある一つの意味を持つ文を構築した。
「アメリカに、留学してたときの、ホームステイ先の、娘、だよ」
「そんな話はじめて聞いたよ」
「俺もこんな話はじめてしたよ」
「オゥ、ソウリィ。イッツ、アメリカングリーティング」金髪女が言った。右手を差し出して、「マイネームイズ、ローズ。アイディドンノウまさよしハヅサッチアキュウティーガールフレンド」
「私はこいつとは何でもないんだけど」英語でそのように言いつつ、久美も右手を差し出し、二人は握手した。二人の英語が早すぎて聞き取れなかった正義も、なんとなくゴタゴタガ済んだのだなと感じた。
「さ、部室に行ってコーヒーでも飲もうか」正義の提案に三人はサークル会館へと向かった。正義は突然浮かんできた嘘について考えながら歩いた。

 部室には野中がいた。三人分のコーヒーを注文すると、野中は金髪女性を見て、「アメリカンの方がいいっすか? 」と訳のわからないことを言った。
 コーヒーを飲みながら、野中を含めた四人は話した。ローズと名乗った女が話す、アメリカ留学時代の正義のことは、正義自身も知らない事ばかりだった。しかしローズの口から出る話はすべて辻褄が通っており、最後には正義さえも留学した事があるような気持ちになった。
 話を聞いているうちにいつの間にか日が落ちていたので、四人は喫茶「メグミ」に行って食事をした。今夜はどこに泊まるんだ、という話になって、ローズは「正義の家デス」と答えた。
「大丈夫? うちに来てもぜんぜん構わないよ」久美が言う。
「おい、その大丈夫? ってのはどういう意味だ」
「ドン・ウォリー。正義そんな度胸ありまセン」
「ははは。それもそうっすね」
「野中テメー」正義が野中の首をしめた。
「それじゃ、私帰るけど、何かあったら電話して」久美は電話番号を書いたメモ紙をローズに渡した。
 メグミを出て、交差点のところで三人はめいめいの家があるほうに向かった。ローズは当然、正義についてきた。
「なあ、アンタ一体何者なんだ? 」正義が道すがらに尋ねた。「マサヨシの家に着いたら話しマス」ローズが答えた。
 ところが正義の家は客を迎えられる状態に無かった。
 まず、家のドアの前で少し待っててねとローズに言うと、家の中に入り、うず高く積まれたパンツシャツの類を洗濯機の中に圧縮して押し込めた。雑誌、マンガはとりあえず重ね、部屋の隅に押しやった。そしてしばらくぶりに布団をたたみ、押入れの中に入れると、布団が横たわっていた所からエッチ本が発見された。慌てて部屋の中を見渡して、本棚の裏に投げ入れると、片付いてはいないが、とりあえず見苦しいものは隠された状態になった。
 ローズを迎え入れ、正義はやかんから麦茶を注いで渡した。六畳の部屋に二人は向き合って座った。
「何から訊いたらいいか分からないけど、取りあえず、君がここに来たのは俺が変身できるようになった事と関係あるだろ」正義は率直に聞いた。ローズはそう、と答えた。
「まずあなたには謝らないといけないんです」
「まあ、話して頂戴」
 そう言うと、ローズは正義にすりより、手のひらを正義の手に重ねた。正義は驚いて身を引きそうになったが、その行為の意味を理解した。
 正義の頭の中に、それまで見たことの無い情景が浮かんできた。実際には、それはローズの中から正義の中に流れ込んでいるのだった。
 情報伝達手段としてテレパスを持たない正義は、次々に入り込んでくる大量の情報に困惑しつつもそれを必死に受け入れようとした。

 正義は光の塊だった。同様に、ローズも光の塊だった。光は互いの事をジーニン・アウルフ、ウリスア・ロズと呼び合っていた。
 闇の中にある光の塊は、暗闇の中にある更に暗いところを追いかけていた。黒い影のようなものが二つの光に向かって笑いかけた。
 光が闇を攻撃した。闇は要領よく回避して、被害を体の一部を失っただけに済ませた。ロズがさらに追い討ちをかけた。闇はそれを待ち受けたように、一度退いてウリスアの周りを囲んだ。
「危ない! 」
 正義の口から言葉が飛び出ていた。そこは見慣れた正義の部屋だった。
「そう。ジーニンは私をかばってあれの攻撃を受けた」
 頭の中に次々とイメージが浮かんでくる一方で、両目も小汚い部屋を映している。
「地図、日本。雨、ワリバシ? 大学のあれ? 」
「ジーニンは形を維持できなくなって、フレジットに吸収されてしまった」
「フレ・・・・・・? 」
「吸収装置って言ったらいいの? 」
「うちの大学のワリバシが見えたけど、あれ、何か特別なものなの? 」
 ウリスアは答えず、ただ首を振った。「こんな辺境惑星に、あれほど完成度の高いフレジットがあるなんてね、驚きというほか無いわ」
 感心するウリスアに倣って正義も、訳もわからずに相槌をうった。
「ジーニンは装置に吸収されてしまったけど、ちょうどその時、強力なプラスのエネルギーが発生して、さらにジーニンを呼び寄せた」
「ああ、思い出した。あの、飲み会の日だ。俺は、久美を助けようとして」
「強力なエネルギーを発生させたのよ」
 正義は麦茶の水面に視線を落とした。ウリスアはグラスに口をつける。
「ジーニンはいま、あなたの中で眠っているわ。ただ、強力な刺激を与えると一時的に目を覚ますみたいね」
「なんか、ウルトラマンみたいな話だね」 
 なにそれ、を表情で表しているウリスアに正義は、地球のヒーロー、ウルトラマンのことを説明した。
「あなたが理解しやすいように考えて頂戴」
「ひとつ質問させて。何で俺だったのか」
 ウリスアは軽く目を閉じ、また開け、正義の目を見た。
「私たちダムスンにとって、あなたたちニンゲンの、誰か、ほかの人のために何とかしてあげたいって気持ちはすばらしいエイヨウになるみたいなの」 そこまで言うとウリスアは笑った。
 ウリスアの笑顔の意味がわかって、正義は赤面した。
「マサヨシはクミのことがスキでしょう」
「それは、そうだけど、ね」
「ジーニンにとって、あなたの中は居心地が良いみたい。さっき触れたときにわかった。たぶん、あと数ヶ月もすれば、外に出てこられるでしょうね」
 正義は、知らぬうちに胸に当てた右手を見ていた。他人がどのように考えるかはさて置き、正義は自らの体に不法侵入している何かについて、不思議な同情を覚えていた。
「ここからは、良くない話です」
 正義は顔を上げた。
 携帯電話の着信音が部屋に鳴り響いた。正義は飛び上がって驚いた。
「びびらせやがって」 メロディーは、『君よ走れ』の所で中断された。「もしもし」
 電話は久美からだった。
『あたし今あんたの家の前にいるんだけど』
 正義は窓から通りを見る。確かに久美が街灯少ない道路を歩いてきている。久美は窓の正義に気がついて手を振った。
 再び話そうとすると、すでに電話は切れていた。そして間も無く、ドアチャイムが鳴った。
「ローズさんいる? 」
「いるけど・・・・・・」
 正義が会話をはさむ隙を与えないように、久美は話しつづける。「はいこれ、土産。お邪魔します。やっほー、コンバンワ。ローズさん」
「コンバンワ、久美サン」
「久美でいいよ。サンなんかつけないで」
「ワタシも、ローズで構いません」
 女ってやつは、すぐに仲良くなるもんだな、などと玄関に取り残された正義は思った。コンビニ袋のアイスを冷凍庫に入れようとした。
「なにしてんのよ、あんたのために買ってきたんじゃないのよ。ローズのために買ってきたんだから、出しなさいよ」
 言われるままに、正義は袋を久美に手渡した。
「はいこれ、ハーゲンダッツ。イチゴがいい? あ、そう、あたし抹茶好きなんだけど、これってあっちでも売ってる? 食べたことある? 」
「Oh、アイドライクトゥ トライイット」
「はいこれ、あんたの」 ぞんざいに久美はアイス(ガリガリ君)を放った。
「ありがとう。嫌いじゃないよ。ガリガリ君」
 久美のちんにゅう闖入によってウリスアの言おうとした「よくない話」は聞けずじまいとなった。散々話し込んだ挙句、久美がウリスアをいっしょにつれて帰ってしまったためである。
 女の匂いの残る部屋に違和感を覚えながら、正義は布団を引いて眠りについた。

 変わって、こちらは久美の部屋。
 正義の部屋と間取りは大して変わらないものの、片付けられているので、同じ六畳間とは思えない雰囲気がある。
 棚には、久美の作った石膏粘土の人形が多数。どれも動物をモチーフにしたものだが、ベアトリクス・ポターよろしく服が着せられていて、かわいらしいものばかりだ。
「ソゥ キューツ! アーゼイ ヨウア ワークス? 」
「まあね。たいした事無いけど」
「そんな事無いデス。ミンナ、心がこもってる。わかります」
 久美は作業机の上にある、未完成の犬を見つめたまま、ありがとうと答えた。
「その犬、雰囲気がマサヨシに似ていますね」
「わかる? あいつ、なんか犬っぽいでしょ。鼻のところがさ、黒くって、自分の尻尾追いかけて何分でもくるくる回ってるような雑種」
 久美は、ふ、と笑った。
 ウリスアは久美の心を読もうとしたが止めた。ウリスア達、ダムスンの様に言葉を解さずに意思疎通する手段を持っていなくとも、久美の行動がものを語るからだ。
「どしたの? 」微笑みながら自分を見つめる客に、久美は尋ねた。
「久美は、正義のことが好きなんですね」
「なによいきなり! 」
 突然の事に久美は後ずさった。顔色は首の方から頭の方に向かって徐々に赤くなっていく。
「こうた、じゃない、紅茶飲む? もう寝る? 」久美は台所に行ったり、クローゼットの前に行ったりと、とかく落ち着き無く動いた。
「寝ようかね。もう遅いしね」
「そうしましょうか」
 普段寝ている布団を譲り、久美は冬用の掛け布団を敷いてその上に寝た。
 言葉が気になって眠れず、首だけを動かして隣のウリスアを見る。
 久美の手にウリスアが触れた。ウリスアも久美を見る。笑っている。
「あの、あの、あの、そういう意味じゃないの。ぜんぜん、違うの」
 久美の反応は正義ほど良くは無い。ダムスンを擁している正義でさえ、直接体に触れなければテレパスが伝わらなかったのだ。ウリスアは久美に働きかけた。
「久美は夢を見ます」
「夢? 夢心地ってこと? 悪いけど私本当にノン・・・・・・」
 触れられている手の甲からウリスアの熱が伝わってくる。目の前が白くなっていき、目を閉じているのか、開けているのか分からなくなった。
 そして久美も正義と同じ映像を見る。

 夜が明けて、正義は今まで感じたことの無い奇妙な圧迫感に目を覚まされ、自然と窓の外を見た。正義の家から数キロほど離れた久美の家でも、ウリスアが同じものを見ていた。
 正義をはじめ多くの地球人には黒雲に見えた。高くない空にありありと鎮座し、海の方から陸を探るように少しずつ上陸して来る。夏であれば、世の主婦は急いで外に干した洗濯物を取り込んだろう。
 ウリスアは黒雲を見て「ゲド」とつぶやいた。
 遠慮がちに動いても物音は出る。ウリスアの気配に久美は目を覚ました。
「どうしたの? 」 パジャマの手が布団から伸び目覚ましを手に取る。「まだ六時じゃない。寝てようよ」
「ちょっと、正義に会う用事が出来ました」
 半眼だった久美の目が、その言葉に見開かれる。布団から飛び起きて、ウリスアが見ていた空の方向を見た。ウリスアは服を着替え、出て行こうとしている。
「ねえ、あれ! 」
 ウリスアは微笑みかけ、扉を閉めて行ってしまった。
「私も行く! 」 引きむしるように寝巻きを脱ぐと、掛けていた七部袖を羽織った。ジーンズに急いで脚を通そうとするあまりに、久美は転んで尻餅をついた。
「いたたたた・・・・・・」
 転んで起き上がろうとした拍子に、ふと外が見えた。そこにウリスアが居た。ベランダに立っているのではない。ここにはそんな物は無い。宙に浮いているのだ。
 久美が呆気に取られているうちに、ウリスアの体は細かい光の粒に変化していき、射られた矢の如く飛んでいった。
「夢じゃなかった」
 ウリスアの飛んでいった先を見つめながら、久美はつぶやいた。
 報道関係のヘリコプターがいち早く異常気象に気付き、近付いていった。そのとき、たまたま稼動していた一台のテレビカメラが撮影した映像が、すぐさま全国に向けて報道された。
 雲の一部が、赤白ストライプの煙突に触れた。すると、煙突は雲に押されるように曲がってゆき、ついには折れ、眼下の工場を直撃した。
 テレビで放送されたこの光景を、正義はその目で実際に見ていた。軽い振動が足の下を通り抜けていくのを感じた。続いて爆音。暴走族のそれなど比ではない。近所の犬は一斉に吼えはじめる。サイレンの音も途切れずにずっと続いて聞こえた。
「あれが、良くないことよ」
 正義が振り向くと、ウリスアが立っていた。今更、いつの間に来たのか、などと驚きはしなかった。
「あれは 『ゲド』 。私たちダムスンと反対側のものよ」
「昨日あんたに見せてもらったときは、もっと小さかった」
「私たちの反対側って言ったでしょ。あいつの栄養になるものがここにはたくさんあるのよ」
 正義はなにも言わず、彼方の火災現場から立ち上る黒煙を眺めている。
「さあ、行きましょう」ウリスアが正義の手を引いた。
「え、どこへ? 」
「あれを何とかしないと」そう言ってウリスアは顎をしゃくり、ゾドを示した。テレパスを持っていながら、なかなかに地球のジェスチュアも様になっている。
「無理だよ、あんな、あんな奴。俺が何とかできるわけ無いだろ」握られた手を振り払った。
 正義の携帯電話が鳴った。実家からの着信だった。
「ああ、母ちゃん。何? ああ、ぜんぜん平気。ずっと遠いから。大丈夫だって。こういう時は、下手に動くほうがずっと危ないんだ。なんだ、義子。写真とって来い? ふざけんなテメー。うん。うん。分かった。またなんかあったら電話するから」
 電話を切ると、次は野中からEメールが届いた。
『先輩テレビ見ました?すごいのやってますよ』
 携帯電話を胸のポケットに入れた。ウリスアが見ていた。
「そんな目で見たって、行かないものは行かないよ。俺は逃げる。大体あれは、あんたらが連れてきたんだろ? 最後まで責任もって始末しろよ」
「私一人の力では無理。ジーニンの助けが必要よ」
「勝手に人の中に入ってきた奴のことなんか、知るかよ」正義は鍵と財布をポケットの中に入れた。
「マサヨシ」
「自衛隊が何とかしてくれるよ」
 スニーカーを履いて家を出た。
 戸を開けると久美がすぐ前に立っていた。呼吸は荒く、体を曲げて両手を膝についている。
「あんたの、家、壁、けっこう、薄いのね」
 久美は上を見上げ、大きく息を吸い込んだ。
 正義の眼前に白く電光が走った、様に見えた。平手打ちされたのだとは瞬時に分からなかった。しばし遅れて、滲む痛みが伝わって来る。
「見損なったよ。あんた」
 壁が薄い、と言われた事と併せて、久美が何を言っているのか分かった。
 言い訳の言葉も出ない。久美が正義に道を譲った。
「行きなさいよ。どこにでも逃げなさいよ。あの黒雲はあんたを追ってきてんだから、せいぜい遠くに行く事ね」
「・・・・・・」
 久美は黙ったままの正義の肩口を掴み、階段のほうに押しやった。「どっかに行ってよ! あんたが近くにいると私たちまでとばっちり喰らうでしょ。死にたくないのはあんただけじゃないのよ」
 物を投げつけたい衝動に駆られた久美は、立てかけてあった傘を引っ掴んで正義に投げつけた。柄のところが背中に当たった。それに押されるようにして、正義は無気力に階段を下りていった。
 久美の靴に一つ、二つ涙の粒が落ちた。やがて漏れてくる嗚咽を正義は聞かなかった。
 ウリスアは仲間に攻撃準備を要請した。

 出てきたものの、正義にはどこに行くあてもなかった。
 普段なら静かなはずの住宅街も、今日ばかりはざわめきが止まることがない。加えて空にはヘリコプターが複数飛んでいる。様々な騒音が交じり合って、極めて不快な状況が形成されていた。
 人だかりに足をとめると、そこは電気屋だった。大画面の液晶テレビを皆で見ている。正義も最後列から背伸びして画面を見た。
 画面の中の戦闘機がミサイルを発射した。これは映画ではない。実況中継だ。黒雲にミサイルが着弾した。群集からは歓声が上がった。
 正義もテレビを見て安心した。雲は半分ほど炎に包まれている。
「これならいちころだぜ」タクシー運転手と思しき制服の中年男性が言った。口々にそうだという声があがった。
 その期待を裏切る形で、テレビは三機の戦闘機が撃墜される様子を映した。
 炎の中から黒雲の一部が吹き出し、周囲を旋回する飛行機を殴るように打った。一機は翼の片方が付け根から折れ、回転しながら海面に落ち、そのまま火柱となった。残る二機も同じく墜とされた。
「ああ、だめか」誰かの口から出た言葉は、そこにいる者達の言葉でもあった。
「自衛隊は何やってんだ」
「誰か、何とかできねぇのか」
「あれがこっちに来たら、一体どうなるんでしょう」
「ママ―、怪獣だよ」
「ナンマイダブ」
 人々を押しのけるようにして、一人の青年がテレビ画面に近付いた。押しとどめる者は無く、皆、道を譲った。
「死にたくないのは、あんただけじゃない。そう。俺だけじゃない。久美も、家族も、みんな、みんな、死んでしまう」
「ママ、変な人がいるよ」そういった子どもの口を母親がふさいだ。
「死にたくない。だけど、俺だけ生き残るのも嫌だ」
 神谷正義は電気屋に入った。「すいません。アブトロニックありますか? 」
 店主は『とうとう出たか』といった目で正義を見た。「無いよ」
「じゃあ、ちょっと、これ借ります」
 正義は一本のコードを引きちぎった。丁度それは表のテレビのものだったらしく、テレビを見に集まっていた人々の視線はそのまま正義に注がれた。
 コードを手繰り、左手に持つ。銅線が剥き出しになった部分を右手で握った。熱にも似た鈍い刺激が銅線から伝わった。
「あちっち」我慢できずに電線から手を放した。
「おい、止めろ! 手が濡れてたら死んでたぞ! 」
「ああ、そうか、アブトロニックも、ジェルを塗るもんな」正義はもう一度コードを拾い上げた。
 ざんばらになった銅線を見つめる男を見て、電気屋の店主は不穏な気配を感じた。
「おいおいおいおいおい、やめろ、やめろ」
「ジーニン、頼むぜ」
 正義はコードを握る手に力を込め、つばを飲み込んだ。
「変身!」 
 正義は銅線を口にくわえた。
 電気屋の店内から閃光が起こり、店主も、店先の者達も目をくらませた。光が収まったころ、引き戸を引いて一人の男が現れた。
 その姿に大人たちは言葉を失った。子どもが「仮面ライダーだ! 」と叫んだ。
「ライダーじゃない。キタキューダインって言うんだ」
 キタキューダインは弾みをつけ飛び上がった。男が飛んでいった先を皆は見つめた。

 すでに道路の交通機能は麻痺していた。町じゅうの車が一斉に動き出したためである。
 避難民の列は、海とは反対に向かって伸びていく。事故のために動かなくなった車が乗り捨てられ、更に交通を阻害する。緊急車両も交差点の中央で動けない状態になっていた。
 正義、キタキューダインは走る。ビルからビルへと伝っていっても良いのだが、走るよりは遅い。事は猶予ない事態なのだ。
 避難民の一部が、モノレールの高架線を走る謎の人影を見た。
 三分ほどで駅前についた。見上げると黒雲はステーションホテルの上に圧し掛かる様にして在る。ゆっくりと建物をつぶして楽しんでいるような感じだった。
 黒雲の鼻先には、少し前までデパートだった建築物がある。次の標的はあれだろうか。
 正義は駅前の広場に出た。
 出ては見たものの、何をすれば良いか分からない。相手は雲みたいな物だ。殴れば良いのか、蹴れば良いのか見当がつかない。正義の頭に『雲をつかむような話』などという質の悪い冗談が浮かんだ。
 正義はおもむろに、手首の節と節を付け、両手を雲に向かって突き出した。
「何も出ないか」今度は、立てた右手のひじに、横にした左手を添えた。「やっぱりダメか」
 数分に渡り、各種ヒーローの必殺技を再現しようと試みたが、いつかの実験どおり、ヒーローの能力は使えなかった。
「正義、フレジットを呼んで」
 頭の中に声が聞こえた。正義はウリスアと叫んだ。
「呼んで。フレジットを。艦砲射撃の方向を無理やり変えるわ」
 真上を見上げると、輝く光がゆっくりと降りてくるところだった。光は形を持たなかったが、正義にはそれがウリスアだと判った。
 光に包み込まれると、正義の体が空中に持ち上げられていった。ジェットコースターが頂点に上っていく時間に似ている。正義はそう思った。
「艦砲射撃を、フレジットで受ける。そして、ゲドに向かって放つ。急いで、呼ぶのよ、フレジットを! 」
 正義は意識を集中した。冷たい鉄の肌触りを手に思い出させようとした。
 その瞬間、K市立大学のキャンパスから、大学のマスコット、「ワリバシ」が消失した。
 どこをつかんだら良いかと、「ワリバシ」が出現した瞬間はとまどったが、物理法則とはまた異なる原理で支えられているらしく、手のひらに吸い付くように在った。
 重さも感じない。
 ウリスアに言われるまでもなく、それを空に掲げた。なんとなくした行為は間違っていなかった。
「来るわ」
 どれほどの衝撃がくるものかと、心をこわばらせていたものの、いつまでたってもショックは訪れなかった。ワリバシは錆の表面を失い、わずかな輝きを持ちはじめていた。
「あなたたちの単位に換算すると、1千ギガワットぐらいのエネルギーを吸収するわ」
「具体的に言って、これを撃つとどうなるのか教えて欲しいね」
「フレジットのおかげで指向性が与えられるから、間違いなくゲドを消滅させられる」
「地上に向けて撃つと? 」
「さあ? 」
 充填が終わった事は体が理解した。
「撃つのよ。ジーニン」
 黒い雲は駅ビルを食むように包んでいる。こちらの様子には気付いていないらしい。正義は撃てなかった。
「撃ちなさい」
「出来ないんだ。何か、分からないけど」
 正義の感じた感覚は、子犬や子猫、自分より弱い者を見たときに感じる、守ってあげなければ、という自負にも似たものだった。無論、オベリスクの先に居るものは犬や猫ではない。強烈な悪意の塊だ。
 だがいざそれを殺せる力を持ったとき、正義の意思はそれを行使することを拒絶した。
「これを撃って、あいつがいなくなったら、世界が平和になるか? 」
 ウリスアは苛立ちを感じた。「ゲドを放っておいたら、この星はゲドに食われるのよ」
「違う。やっつけたとして、あいつがもう二度と出てこないって保障はあるかな」
「……」
「吹き飛ばすんじゃなくて、中和する」
 ウリスアは正義を放した。正義の体は重力に従って五十メートル下に落ちる。
 突然解放されて戸惑ったが、そこはキタキューダイン。誰も見ていないものの、驚くほど格好よく着地した。
 ワリバシを持ったまま、ゲドと呼ばれている黒雲に近付いていく。近くで見ると雲というよりは、影が動いているように見えた。
 影がのたうつ。苦悶の様子は無い。ただ流動している。
 正義は手にしたワリバシをゲドに突き立てる。
 ウリスアは信じられないものを見た。限界までエネルギーを吸収したフレジットが、ゲドを吸収していく。横に立った地球人の男は、ゲドが均等に吸い込まれるようフレジットを僅かに揺らしている。
「そんな使い方もあったのね」
 ウリスアの言葉が聞こえた。分からない。やってみただけだ。正義は言った。
 ゲドがいなくなった後には瓦礫だけが残った。
 ウリスアがフレジットと呼んでいたワリバシは、今ではただのワリバシに戻ってしまった。いや、先のほうに僅かに光が残っている。
 乾いた破裂音が、人影の無い繁華街に響き渡った。キタキューダインの姿のままで、正義は見を守ろうと両手で体をかばった。
「あ、あーあ」恐る恐る構えを解くと、正義はワリバシの先が変形している事に気がついた。「爆発しちゃったよ」
 ワリバシの先は、重さに耐えられずに引きちぎれたワイヤーに似ていた。
「心配しないで。あまったエネルギーが少し漏れただけ」
 ウリスアが地上に降りてきて言った。「すごいわ、正義」
 正義の変身が解けていく。光の鱗が剥がれ落ちるように、キタキューダインの姿からもとの姿に戻る。
 変身が解けたことで、正義が呼んでいたワリバシも光になって消えていった。元の場所に帰ったのだ。
 正義に続き、ウリスアも本来の姿から地球人の形をとる。
「やっぱり、撃った方が良かったかな」
 正義の体が震え始めた。「もしかしたら、恐ろしいことをしたのかもしれない」
 ウリスアは正義を見つめた。正義は目に涙をためている。
「わがままをいってごめん」
 正義は鼻をすすった。シャツの裾で涙を拭いた。
 地球人は隣人がこのような状態になった時、その人を抱きしめるということをウリスアは知っていた。だがそれは自分の役目ではないとも知っていた。
 正義の体が光り始める。正義は困惑し、体を見る。
「ジーニン。さっきの光で、ああ」ウリスアが呟いた。
 正義はウリスアを見る。ウリスアは正義の頭の上を見ている。そこには、ウリスアがジーニンと呼んだ光が生じていた。
「正義。お別れみたい」
「何? いきなり? 」
「ジーニンがありがとうって」
「どういたしまして……だけど? 」
 再びウリスアが形の無い姿をとる。二つの光が螺旋を描きながら空に昇っていく。
 正義はその光景を見つめていた。
 風が吹くと埃が舞った。サイレンの音が近付いてきている。それだけではない。人々が恐怖が去った事を知り、町に戻り始めていた。やがて半日もしないうちに、元の喧騒が戻ってくるはずだ。
 正義は、人のいない駅前をはじめて歩いた。やはりここは少しうるさい位がいい、そんなことを思いながら家のほうに向かって歩き始めた。


 結局、地球人で黒雲の正体を知ったのは正義と久美だけらしかった。最も、二人共その事は誰にも言わなかった。
 半月はテレビがやかましかったが、他にも報道するべき事は絶えず湧いて出てくる。政治家の汚職、有名人の不倫、外交問題、殺人事件、交通事故。
 数あるニュースの中の一つとして、『異常気象』の件はやがて誰の記憶にも影響力を無くしていった。
 大学では前期試験が始まり、黒雲の事は学生から一時的に忘れられてしまった。試験が終わったころ、誰の口からと限る事は無く、「そういえば」という始まりであの雲の正体に対する話が持ち上がっていた。
 というのも、そこの大学にあるモニュメントが変形した日が、黒雲の為に一時街が大混乱になった日と同じだったために、元はワリバシとそっくりな形をしていたそれを見ると皆雲のことも思い出してしまうのだった。

 部員全ての試験日程が終了した事を祝い、模型部の部室では宴会が開かれようとしていた。
 野中とみっちゃんが部屋を片付ける間に、正義と久美は酒やつまみの買出しに行っていた。その帰りだった。
「あんた、あれから変身するの? 」久美が聞いた。
「いや、ぜんぜん。大体、アブトロのアイアンマンモードは痛くて使えないよ」
 荷物の重さに息を上げながら正義が答える。
「なんだったんだろうな」
「交通事故みたいなもんよ。事故にあう理由が無いのと一緒で、あんたが乗り移られた事にも理由なんて無いのよ」
「そうかなあ」
「まあ、終わったんだし。あんたの体も、後遺症とか無いんでしょ。だったら良いじゃない」
「脅かすなよ」
「変わったのは、アレくらいじゃない? 」
 正門から大学敷地内に入ると、相変わらずもとの仇名で呼ばれている「ワリバシ」が立っている。久美は袋を持っていないほうの手で示した。
 サークル会館の階段を昇っているとき、ビニール袋の重さで指が千切れそうだった。顔に出さずに耐え、平気であることを久美に証明するため、先に階段を上りきり、部室のドアを開けた。
 体当たりするように開けたので音がうるさい。正義は、野中とみっちゃんが素早く離れるところを目撃した。
 荷物の重さをその時忘れた。「お前ら? 」
「早かったですねぇ」上ずる声でみっちゃんが答えた。
「ほんとほんと。まだ全然、掃除なんか終わってないっすよ」
「野中? 」
「なんすか? 」
 正義は買い物袋を捨て置き野中の体を掴まえた。鼻を近づけて匂いをかぐ。
「みっちゃんの匂いがするぞ」
「それは……」
「い、一緒に掃除してたんですから」
「そうそう。そうっすよ。先輩、花粉症で鼻がおかしいんじゃないですか。ひまわり花粉症。最近多いらしいっすよ」
「何騒いでんのよ」戸口に缶コーラを持って久美が立っていた。
「こいつら、俺が買い物に行ってる間乳繰り合ってたんだ! 」
「そりゃ恋人同士だったら、乳繰り合いもするでしょう。掃除をしてないのは問題だけど」
「そうなのか? 」正義は二人の後輩を見る。二人とも、申し訳なさそうに顔を赤らめた。
「あんた今まで気付かなかったの? 」
「も、模型部は部内恋愛厳禁だ! 」正義が野中と渡辺に向かって怒鳴った。
「そうだったの」正義の後ろで久美が言った。正義がそうだと答える。
「それは残念」
「何? 何ボソっと言ったの? 」
「あ、あたしスルメ買い忘れたみたい。正義、もっぺんダイエーに行くよ。あんたら、あたしらが帰ってくるまでに掃除やっとくのよ」
「なあ、なんていったんだ? 」
「しつこいわね。『バカじゃないの』って言ったのよ」
 次第に聞こえなくなっていく二人のやり取りを聞きながら、野中武と渡辺美智子は顔を見合わせ、笑った。





        超戦士キタキューダイン・完






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