『超戦士キタキューダイン』 緑一色 F県。古くは大陸との接点として栄えたと言われるこの県に、人口がギリギリ100万人で何とか政令指定都市を名乗っている微妙な都市、K市がある。 K市が直接経営するK市立大学。この大学には、奇抜なポスト・モダンスタイルの建物に加えてもう一つの名物があった。本館と対をなすように建てられた謎のオブジェ、通称、「ワリバシ」がそれである。全長25メートルを誇る鉄の塊は一説に数千万円したとかしないとかで購入当時は物議をかもしたとも言われる。だが21世紀の現在に至っては、バブルと言う好景気の時代がかつて日本に存在した事の証人でしかなかった。 春が来た。今年も厳しい試験をくぐりぬけて、めでたく入学を果たした新入生達がキャンパスにやってきた。新しく始まる暮らしに期待を寄せる新一年生達の見せる笑顔は、そのまま大学紹介のパンフレットにでも使えそうなほどに輝いていた。 表の明るさとは対照的に、神谷正義(かみやまさよし)の表情は暗い影が黒雲を作って雨でも降らせているかのようだ。今日三十回目の溜息を、今ついたところだった。 ここはサークル会館三階、模型研究会の部室。今日は部員全員が会し、新入部員獲得作戦会議が開かれていた。 「皆、話も聞いてくれないんだよな」正義が言った。模型部部長である彼は、新入生獲得作戦本部長も勤めていた。 「だから外さないようにガンプラで行こうって言ったじゃないですか! ワリバシなんか作っても人目は引きませんよ」と言ったのは野中武(のなかたけし)。正義のいっこ下、つまり新二年生だ。 新入生歓迎期間を終えた今日現在、模型部のテントを訪ねてきたものは居なかった。つまり、新規獲得部員はゼロである。新入生の目を引く文字どおりの広告塔として、発泡スチロールで鉄塔、『ワリバシ』を創ったものの、全くの徒労に終わってしまった。 その人間サイズのワリバシを抱えた、三人目の部員、遠山久美(とおやまくみ)がドアを足で押し開けて入ってきた。 「何でこれこんなに重たいの。ぶち壊した方がいいんじゃない? 」 無言のうちに、野中が進み出て先輩の荷物を肩代わりした。 「撤収作業はこれで終わりだね」久美が手のひらの埃をはたいた。 荷物を部屋の隅に置いた野中の、「お疲れ様でした」を、三年の二人も唱和した。 アルミの事務机に付き、三人は消費期限の迫った紙パックジュースを飲んだ。新入生が部室に来た時のために用意しておいたものだったが、誰もそのことは口にしなかった。 ジュースはやがてチューハイに変わり、三人は静かに『これからの模型部を考える会』を行っていた。乾杯することなく始まった飲み会は極めて盛り上がりに欠け、言葉もなく、皆、酒をすすり、乾き物とスナック菓子をかじった。 遠山が席を立ち、窓際のソファーにふんぞり返った。酒に酔ったときにするいつもの動作だが、右手に持ったラムネハイは、傾け具合から見てまだ半分以上残っているようだった。 神谷と野中は目配せして、もしもの時用のポリバケツをソファーのそばにそっと置いた。 「模型部って名前だから、なんか暗いイメージがあるのよね、きっと」 その言葉が神谷に意味ありげに聞こえたのは、久美の視線が壁に張られた『連邦VSジオンDX』のポスターに向かっていたからだった。 「まあ、仕方ないですよ。一般受けするものじゃ無いですし」 野中が答えた。「時間も、根気も、お金も要りますからねぇ」 今年から、模型部の部費は二十パーセント削減となった。近年の実績不足と、部員減少を評価されてのことである。 天井から下げられた、歴代部長の写真に神谷は目を遣った。 二年前、神谷と遠山が入学した年の模型部は、十本腕と呼ばれる五人の四年生が在籍しており、その功績は近隣の大学のみならず全国的に知れ渡っていた。 先代部長であった東馬タツオ(とうまたつお)は、某模型雑誌の表紙を自らの作品、ザクU改で飾った実力者である。その実物を神谷は手にしたことがあるが、あまりの精密さと完璧さに鳥肌すらたった。 それに比べると。自らのふがいなさを飲み干すように缶をあおった。口には出さないものの、技術力はそこそこにいいラインを行っている自信がある。だが、いつまで経っても、作品が自分のイメージを超えて行かないのだ。 アルミの缶を握りつぶし「今夜は呑むぞ! 」神谷は叫んだ。 「あんた、いつも同じ事言ってる」と、久美。野中が折角の盛り上がりそうな気配を無駄にすまいと思ったのか、模型部秘蔵の日本酒、『ひとごろし』を手にした。 「野中、いきまーす! 」 「よし、行け! 」 野中が一升瓶をラッパにしようとしたその時、扉がノックされ、三人はその場に固まった。 ドアを開けたのは文学研究会の会長、新谷(しんたに)だった。新谷は右目を隠す前髪を指先でもてあそびながら、開いた扉にもたれた。 「おやおや、新入生歓迎会ですか」 「ええ、まあ。どうです、そちらは」社交辞令的に正義が聞く。 「聞いてくださいよ。うちはもう、十人も入りまして。部室が狭くなって仕様が無いんですよ」舐めるように模型部の部室を見て、「いいですねえ。広い部屋は」 「何の用ですか」久美の声はひと喧嘩始めかねない調子だった。彼女は普段から、新谷を嫌っていることを公言している。 「いえ、夜警中でして。大騒ぎもほどほどに」 閉じられたドアに向かって投げられた『寿』の文鎮を、野中がガラスを突き破る寸前でキャッチした。 「余計な事するな。あほ」 殺人を未然に防がれ不平を漏らした久美に、野中は素直に謝った。右手に余る鉄の塊は正義の手に渡り、正義はそれを引き出しの中に収めた。 「あーあ、おもしろくなーい」 その言葉を最後に、久美はソファーに沈んでいった。ジーンズにスニーカーの足を作業台に投げ出して眠るその姿はあられもないの一言に尽きる。気の利く武が戸棚から毛布を出し、正義はそれを横たわる久美にかけてやった。 男二人は再び呑み始める。 物音に正義は目を覚ます。寝ぼけた目は蛍光灯のあかりを嫌がって眇められた。 久美が起き上がっていた。掛け時計を見ると一時。 「帰る」 眠りに落ちるその時まで、赤々と血色良かった久美の顔色は今明らかに蒼ざめていたが、正義の眼はそれを見分けなかった。顔を濡らした液体が自らの涎だと気付き、慌てることなくデニムシャツの裾をタオルにしてそれを拭うと、また机の上に臥した。「気をつけて帰れよ」 久美は床に倒れた野中をまたぎ出て行った。 数分もしないうちに、正義は再び起こされる事となった。今度は、携帯電話の着信音だ。 半ば無意識に、左手が尻のポケットを探っている。電話を取り、もしもしを言う。だが、鳴っていたのは自分の電話ではなかった。音は、久美が寝ていたソファーの辺りから聞こえる。 案の定、二つ折りタイプの携帯がスポンジの上で悶えていた。 「あの女、携帯忘れてやんの」口に出しつつ、窓に歩み寄り、電話を取った。手にとると、同時に着信音も振動も止まった。 届けるべきか、逡巡した。久美は女子大生が住むとは思えないほど古いアパートに住んでいる。電話線は引かれておらず、通信手段は携帯電話のみである。もしも重要な用事だったら……。 まだ、そう遠くまでは行っていないはずだ。向こうが気付いて、こちらに戻っているならばそれで良し。正義も、野中をまたいで部屋を後にした。 サークル会館を出て初めて雨が降っていることに気がついた。しかも、本降りになりそうな気配の降り具合だ。 傘を取りに戻っている間に、久美はどんどん先に行ってしまうだろう。追いかけては見たものの、久美の家には一年のときに何かの用で一度行ったきりだから、細かい道までは覚えていない。 走ると抜けきらないアルコールが吐き気を呼ぶので、競歩の如く歩いている。 (ありがとう、私のために)(濡れたままだと身体に悪いよ。家に、寄っていったら)(シャワー、先に浴びるから)邪まな考えが脳裏をよぎった。 久美もあれでなかなか可愛い。勝気な所がたまに気に食わないが、化粧っ気があればかなりもてているはずだ。 野中のように、ガンプラと結婚する。と言い張れる度胸が欲しいところだ。普通の大学生がするような恋愛に憧れぬ正義ではない。もっとも、プラモデルなんてものをいじっている内はまともな彼女なんてものはできっこないとも薄々感じてもいる。 堅気の人間ではない、こちら側の住人で知っている異性は今のところ遠山久美だけだ。ガンダム話に打ち興じることのできる女性、いや、つまるところ互いに話していて面白い相手を皆探すのではないか。 あほらし。こんなことを前にも話して、久美に一蹴されたことがある。そのときの彼女の顔を思い出すと、胸の奥に生まれた淡い恋の予感も呆気なく消し飛んでいった。 表門は閉ざされていたが、久美は乗り越えて行ったのだろうと思われた。以前にも、彼女自身がそれらしきことを語っていた覚えがある。門は車止め用のものだから人間が越えることは容易い。 歩むものの少ない夜の通りに、おぼつかぬ足取りで女が一人いた。久美だ。 鉄柵を乗り越え、「おーい」と久美に声をかけ、呼び止めようとした。 角を曲がってきた黒のワンボックス・カーが停車し、中から二人の男が飛び出すように出てきた。 金髪に近い髪の毛と、耳に鈴なりのピアスが街灯に光る。二人共、町で見かけても目を合わせたくない類の人種だ。無論、正義とて例外ではない。 その二人が久美に近寄った。 「何してるんだ! 」 邪悪な雰囲気を察した正義の口から声が飛び出ていた。 言っては見たものの、眉毛の極端に細い男達が不遠慮に近寄って来るさまに尻込みをはじめてもいた。 「(な)んだ(て)めぇ」 「(こ)ろっぞ(こ)ら」 二人組みの話す言葉は不明瞭な発音だったが、敵意だけはしっかりと伝わってきた。 話して分かるような相手ではないだろうが、出来れば殴り合いだけは避けたいところだった。正義の両手は、たとえばデザインナイフを持ったり、エアブラシを使ったりすることは人並み以上に出来るのだが、暴力沙汰とは全く縁がなかった。 久美さえ逃げてくれれば、そう思って悪漢二人組の後ろを見ると、ブロックの敷き詰められた歩道に久美が倒れこんでいた。 やるしかない! 覚悟を決めた瞬間、正義は夜空を向いていた。 笑い声が聞こえる。殴られたのだ。そのまま尻餅をつくと今度はキックが見舞われた。 「いてててて」 ではない。反撃しなければ。 頭では思うものの、足に力が入らず、立つことが出来ない。あとずさるその姿はさぞ情けなく見えただろう。 すると、一人がポケットから棒のようなものを取り出した。 一振りすると、元の長さの三倍に伸びる――特殊警棒だった。あんなもので殴られたら死んでしまう。なにか、硬いもの、防げるもの、なにか、なにか! 男が警棒を振り上げ、下ろしてくる姿がゆっくりと見えた。 自分の右手が、警棒から頭を護ろうと男に向かって伸びる。そこまでで視界が閉じた。正義は目をつぶってしまったのだ。 空が輝き、雷が落ちた。実際は、それは雷などではなかったが、エネルギー吸収装置に吸い込まれていくその光景を、落雷以外に認識できるものは地球上にはいなかった。 すさまじい光に、それを目の当たりにしたものは皆目をくらませたが、誰よりも驚いたものは、適当な女をさらっていかがわしい事をしようと企んでいた二人、正確には、車の運転手も含めて三人組だっただろう。 「な、なんだ、お前! 」 正義が目を開いて最初に見たものは、最後に見たものと同じく、右手だった。 しかし、そこには、寿の文字をかたどった鋼鉄の文鎮が鈍く輝いている。 起き上がった。もう、足はすくんでいなかった。どう言う訳か、今度は二人組のほうが驚き、後ろへとさがってゆく。 警棒を持った男が再び攻撃してくる。蝿でも払うように文鎮ではじき、そのまま手を肩口に振り下ろす。分かりやすい音を立てて男の鎖骨が折れた。 武器を捨て、正義はもう一人に殴りかかった。カンフー映画のクライマックスのように、小気味良くパンチがきまる。 男は空中に舞い、車のボンネットの上に落ち、のびた。 「ぎゃああー」 鎖骨を折られた男が叫んだ。その哀れな声が正義を我に返らせる。三人組の車、そのリア・ウィンドウに自分の姿が映し出されていた。 「ぎゃ、ギャバン? 」 目に映ったものを例える言葉がなく、思いついた宇宙刑事の名前が口に出た。 そのギャバンは、正義が右手を見るとガラスの中で同じ動作をする。手も、足も、目に付くところはどこも正義ではなくなっていた。 「助けてくれー」叫びながら、利かなくなった腕を押さえながら男達は車に乗り込み、信号も無視してどこかに走り去った。 悪いことをしてしまったような気がして、逃げる車に向かってごめんなと、正義は叫んだ。 一方で、難を逃れたはずの遠山久美は寝つづけていた。勿論、このまま放っておくことは出来ない。再び痴漢に遭わないとも限らないし、雨の中で寝て肺炎にでもなれば大事では済まない。 仕方なく、横ざまに抱えた。部室に戻ろう。服を変える事はできなくとも、乾かしはできる。もう少し気をつけるべきだった。気が強くても、身体は女の子なのだ。酒に酔った状態で、一人、歩いて帰らせるとは。利き手が自由であれば、自分の頭を殴りたかった。 光の帯が二つ、正義達を照らした。騒ぎを聞きつけた警備員がやってきたのだ。ふう、と、一つ、正義は息をついた。 「なんだ!貴様! 」 懐中電灯の光を当てられ、正義は目を細めた。 「なにやってるんだー! 」 弁明の言葉が出かけ、正義は気づいた。 身体が「変身」したままなのだった。 久美を横たえると、そのまま振り返らず逃げた。 本人は気づかなかったが、逃亡の際、四階建ての建物を一足に飛び越えていた。 家に帰り着いた時には、身体は元に戻っていた。安堵のあまり着替えもせず正義は万年床についた。 翌日。シラバスをもらった後で正義は部室に寄った。 やけに賑やかだな。いぶかしく思い扉を開けるのを少し戸惑った。 「あんたも気をつけなさいよぉ、変なの多いみたいだしね、最近」久美の声。それに対する返事は、聞き覚えの無い声だ。 扉を開く。他サークルよりもやや広めの部屋に野中武、遠山久美、そして、 「どうしたの? 」 「そう、聞いてよ。私昨日帰る途中でさあ、変なマスクの男にさらわれそうになったんだって。危ないところを警備員さんに助けられたらしいのよ」 「いや、おめぇじゃねえよ。その娘。そのちっちゃい女の子」 久美の隣に座っていた『女の子』が折りたたみイスから立ち上がった。 「はじめまして。わたし、一年の渡辺美智子です。よろしくおねがいします」 「みちこさん。はじめまして? 」 「ああ、もう、解らないんですか! 」普段感情の起伏を見せない野中が、珍しく興奮気味だった。「新入部員ですよ! しんにゅうぶいん! 」 K市立大学の校内に、「やったー」の声が響き渡った。 大学はいつもと同じように、騒がしく、陽気で、楽しげだった。正義も、昨日のことは半ば忘れていた。 その様を全て見通すように、大学のシンボル、『ワリバシ』は今日も大きく、雄大に構えていた。 |