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『グーちゃんの小冒険』 絢夕莉 青々とした草が生い茂る草原の上を爽やかな風が吹き抜けていく。そんなのどかな風県の中を、高速で移動する何かが土煙を上げて横切っていく。 それは、凶器になりそうなほどツンツンした飾り毛を含めると体長一メートルにもなるイワトビペンギンだった。子供が見れば確実に泣き出すほどの凶悪面。それを際立たせている三白眼からは今、滝のような涙が怒涛の勢いで流れ出し、涙でぐっちゃぐっちゃになった顔は、気の弱い者が見れば即死するほどのレベルに達していた。 そんなバケモノ面の物体が、時速百キロを越える猛スピードで爆進しているのだ。爽やかな風景はぶち壊しである。 「ぎょおおぉおおおおぉぉぉぉおおおっ!!!」 地の底から響いてくる、身も凍らすような叫びが辺りに響き渡る。飛ぶ鳥が次々に地に落ち、小川の魚が白い腹を見せてぷかぷかと浮かび上がってくる。のどかな風景は一瞬にして、地獄絵図と化していた。 しかし、それの頭の中で自分の姿は、きらきらと真珠のような涙を流しているはかなげな乙女のようで、先ほどの叫びも可愛らしく「わぁぁああああんっ!!!」という泣き声を上げたことになっていた。 この想像と現実のギャップも凄まじい生物の名は「グーちゃん」。「幻世」の綻びを直す修復師・羽珠(はねず)の使獣である。 1 現世にあまたある「物語」は、幻世のなかでは現実の「世界」として存在している。「物語」の世界は普段はそれぞれに独立しているが、現世の力に引きずられた時、境迷という現象を起こして他の世界と混じり合ってしまう。 現世には幻世に入り、その境迷によって変質した世界を直す能力を持った者たちがいる。世界を正す能力を持った者は調整師、世界の境界の綻びを直す能力を持った者は修復師と呼ばれた。 使獣とは、調整師や修復師が使役する幻世のみに存在する獣で、どの調整師も修復師も必ず持っている。 事の起こりは30分前。 その日、修復師である羽珠とそのパートナーである調整師の明華(めいふぁ)は、自分たちが通う調整師・修復師の養成機関「幻塔アカデミー」の授業で、クラスメートたちと幻世にやって来ていた。二人はこの春めでたく中等部に進学し、今日はその最初の授業であった。 生徒たちが幻世に着くと同時に、それぞれの使獣が姿を現した正にその時…… 「うっわー!? 何だよこいつ、コエーッ! 不気味ー!!」 一人の男子生徒が顕現した羽珠のグーちゃんを指差して笑ったのである。 グーちゃんの凶悪面は、ただ凶悪なだけでなくとことんブサイクだった。後姿だけなら、ずんぐりした体型と短い足がペンギンらしく、巨大ながらも愛らしいといえたかもしれない。これが正面からだと、インパクトのありすぎる顔がすべてのイメージを決めていた。すなわち、羽珠以外の人間にとっては「コエーッ!」「不気味ー!」となるのである。 しかし(誰もがその外見からは想像することなど出来なかったのだが)、グーちゃんは実は人間に例えるなら、花も恥らうお年頃でその内面はガラス細工よりも繊細だったのだ。そしてその一言によって、グーちゃんの心は傷ついたどころか、碾き臼で粉になった。 「! グーちゃんっ!?」 羽珠が止めようとした時にはすでに遅く、グーちゃんはスタートダッシュから時速百キロを越すスピードでその場を駆け去り、遥か彼方の点と化していた。 誰もが声を失くして、グーちゃんが駆け去っていった方を眺めた。グーちゃんを笑った男子生徒も呆然としていたために、その背後にゆうらりと人影が立ったことに気づかなかった。明華を含む何人かがそれに気づき、ザーッと青ざめる。 彼は初等部のころに一度も羽珠と同じクラスになったことがなかった。そのために、羽珠のことを噂で聞いてはいたが、その本質をきちんと理解していなかったのである。それが彼の不幸、いや命取りとなった。 2 そのころ、グーちゃんは草原から森の中に入り込み、樹木を薙ぎ倒してひたすら走っていた。 しかし、トリ頭の悲しさか、はたまた心のガラスが実は形状記憶合金だったためか、30分も走ったころにはグーちゃんは立ち直っていた。いや、立ち直ったというより、何故傷ついて走る事になったのか、その原因をすっかり忘れていたのである。 3分間、原因について考えていたが、思い出せないのでグーちゃんはあきらめた。立ち直りも早いが、あきらめはもっと早いグーちゃんであった。 とりあえず羽珠たちのところへ帰ろうとグーちゃんがきびすを返すと、女の子とバッチリ目があった。 いつからそこにいたのか、鬱蒼とする木々が繁る森の中、そこだけはポッカリと開けて白い花がたくさん咲いている一角にその少女は座り込んでいた。薄暗い森の中、そこだけ光が差し込んで花の白さが際立つ。少女の鮮やかな赤の頭巾は、その白の世界で唯一の赤い花のようだった。 「おばーちゃんのお見舞いに行く途中で、狼さんにこのお花畑を教えてもらったの。おばーちゃんへのお見舞いにしようと思って寄ったんだけど、ちょっと遅くなっちゃった」 狼に会ったことに、少しも恐怖を感じなかったらしく、赤い頭巾の少女・赤ずきんちゃんは屈託なく笑う。どうやら相当肝がが太いらしい。そのせいか、グーちゃんの顔を見ても恐れることなく、平然と一緒に歩いている。どことなく、性格が羽珠に似ている。 グーちゃんは『赤ずきんちゃん』の話の展開を知っていたが、なんとなく赤ずきんちゃんに引っ張られるようにして、おばあさんの家まで送っていくことになってしまったのである。 グーちゃんと赤ずきんちゃんは、談笑しながら(と言ってもグーちゃんは「ぐげぐげ」と相槌を打つ事しか出来ない)森を抜けてあ然とした。 目の前に、海原ならぬ雲海が広がっていたからである。 「「………………………………」」 二人とも言葉は出ない。二人の足元の1メートルほど先から地面が消失し、変わりに雲がその先に広がっている。 「おばーちゃんちに向かってて雲の上にでるなんて……。病気が悪化して、点に召されっちゃったのかしら、おばーちゃん……」 年寄りにはシャレにならないことをさらりと呟く赤ずきんちゃん。 「…………」 グーちゃんは無言だ。というより、それどころではなかった。使獣であるグーちゃんには原因がわかっていた。 境迷が起こったのだ。 羽珠たちに知らせるべくグーちゃんは走り出そうとした。が、 「ぐっげーっ(訳:何しとんじゃー)!?」 恐れ気もへったくれも無く雲の上をすったすったと歩いていく赤ずきんちゃんを見て、あわてて後を追いかけた。 赤ずきんちゃん……、豪胆にも程がある。 なんとか止めようとスカートの裾をグーちゃんは引っ張るが、赤ずきんちゃんは意に介することなくグーちゃんを引き摺って突き進む。目の前に興味の対象が現れると、他のことが目に入らなくなるタイプらしい。 そうこうするうちに、二人の前に強大な城が姿を現した。明らかに『ジャックと豆の木』の世界である。 「きっとこれは天国の門なんだわ。ああ、おばーちゃん……」 赤ずきんちゃんが悲しげに呟く。彼女の中で、おばあさんのご臨終は確定してしまったようだ。おそらく今頃は、狼に飲み込まれて死の淵を彷徨っているだろうから、あながち間違ってはいないかもしれない。 「ぐげ〜……」 グーちゃんが、どうやって赤ずきんちゃんを連れ帰るか、知恵を絞っていると…… ばったーんっ!! 急に扉が開いて、中から男の子が飛び出してきた。腕に金の竪琴と雌鳥を抱えている。ジャックである。 その後から地響きを立てて、大男が走り出てくる。 「待てー! コソドローッ!!」 「えっ!? ドロボウ?」 大男の割れ鐘のような叫びを聞いた赤ずきんちゃんは、ジャックの前に飛び出した。そして…… 「泥棒撲殺!」 どふっ!! 赤ずきんちゃんの繰り出したラリアットが、綺麗にきまる。ジャックは声もなく昏倒した。 「「……………………」」 グーちゃんも大男も、赤ずきんちゃんの行動にどうコメントすべきかわからなかった。 服の埃をはたはたと叩いていた赤ずきんちゃんは、ジャックから竪琴と雌鳥を取り上げると、 「はいっ」 と大男に差し出した。大男は困惑しつつ受け取る。 「だめよー? 大事なものはきちんと管理しておかないと。ほんっとに泥棒ってのは人が大事にしているものほど嗅ぎ分けて、盗っていくんだから頭にくるわっ! あっ、泥棒避けにはね、ロープとナイフを……」 大男に同情しつつ、泥棒対策まで長々とレクチャーしてやる赤ずきんちゃんであった。何やらコソドロに恨みがあったらしい。過去に泥棒に入られたことがあるのかもしれない。 「……というわけ。これだけやればバッチリよ。じゃあ、うちのおばーちゃんをよろしくね」 大男を完全に天国の番人と勘違いしている。 「それじゃあ、このコソドロは地獄にでも……って、あら?」 見るとジャックの姿が消えていた。大男や城もその姿が霞みはじめ、あっという間に消えてしまった。 「消えちゃった……」 調整師も修復師もなく、境迷が正されるのを初めて見たグーちゃんは、呆然としていた。そして、悩まされていた。ひょっとしたら、アカデミーが把握しきれていないだけで、境迷が小規模なものは頻繁に起こっていて、自然に回復されているのではないかと。 グーちゃんが柄にもなく悩んでいた頃…… 「天国って無用心よねぇ……」 赤ずきんちゃんは、まだ誤解したままだった。 3 「あっ! 羽珠、グーちゃん帰ってきたよっ!」 「まあ、本当? グーちゃん!!」 土煙をあげて帰ってきたグーちゃんに、羽珠が駆け寄っていく。それを好機とばかりに明華たちは行動を起こす。 グーちゃんを笑ったために羽珠に完膚なきまでにボコボコにされ、止めに入った担任ともども、今しも埋められようとしていた男子生徒を速やかに助け出す。羽珠が恐ろしくて、今まで手を出せないでいたのだ(出せば担任の二の舞になるから)。 助け出された彼は、この短時間でげっそりとやつれ、髪にも白いものが混じっている。過去に同じような目にあった者たちと同様に、しばらく安眠することは出来ないだろう。 明華たちは気の毒な彼と、とばっちりを受けて更に気の毒な担任に合掌した。 羽珠はそんなことなど、どこ吹く風で、グーちゃんを抱きしめている。 「ああ、よかったグーちゃん。このまま帰ってこなかったら、彼の息の根を止めてやるところでしたよ」 すでに息の根を止めたも同然の状態にまでしておきながらしゃあしゃあと言い放つ。明華は息があっただけでもましと考えていたので、あえてツッコまなかった。 「ぐーげっ! ぐげぐげ!!」 グーちゃんはさっき起こった境迷のことについて、羽珠に報告しようと口を開く……が、 「……………………ぐげげ(訳:あれれ)?」 「どうしました? グーちゃん」 帰りにも30分かかってしまったために、その間にグーちゃんは言うべきことを綺麗さっぱり忘れていたのだ。 「ぐっげ(訳:まあ、いいか)」 よくない。 【終】 |