LIFE 小エンマ



 真冬の冷たい雨が降る日曜日、突然に、同級生が交通事故で死んだという知らせが届いた。
 その翌日、雨はすっかり上がって快晴の中、僕一人だけが、暗鬱とした気分のまま、新幹線に乗って故郷へ向かっている。
 その途中、実に様々な事が頭に浮かんで来た。彼を乗せた車がダイブして、海に飛び込んだ瞬間。止まる事を知らず侵入して来る海水に戦慄しながら、必死になって扉を開けようとする姿。窓を足で思い切り蹴破った恰好のまま、海底から引き上げられる場面。考えただけでも、ぞっとした。いつ我が身にも起こりかねない事である。僕自身もまた、或る恐怖感に襲われていた。
 やはり、帰るべきではないのかも知れない、とさえ思ったが、新幹線は、速度を緩めることなく、次第に故郷までの距離を縮めていった。僕は表情を堅くしたままで、身支度を始める。ゆっくりと、新幹線は駅のホームに侵入し、数人の乗客とともに、ホームに降り立つ。一年ぶりに見る故郷。僕には灰色に曇って見える。
 改札口を出ると、すでに有村と川口に二人が僕の故郷を待っていた。二人とも、その表情は重々しい。
「よう」有村の声も、心なしか沈んで聞こえる。
「じゃ、行こうか」川口はわざと明るい声を出しているようだった。
 最近買ったばかりと言う川口の車に乗って、彼の家へと向かう。相当の山奥にある、とは聞いていたが、まさかこれほど遠いとは思ってもみなかった。住所は確認済みだから、と二人は言っていたが、案の定、道が分からなくなり、道路沿いのラーメン屋に寄って、店員に道を聞き、ついでにそこでしばしの夕食をとった。まだ日の暮れる時刻ではなかったが、山が高い為に太陽は隠れてしまい、辺りは真っ暗になっていた。明りらしきものも殆どみられない。まさに寒村といった趣だった。
「あいつ、こんな所から学校に来てたのか」思ったままの言葉が口から出た。
「いつも汽車で来る奴を馬鹿にしてたのにな」
 川口のその言葉に、三人とも苦笑いを浮かべる。
 真面目なイメージは少しもない、いつも面白い事を言ってみんなを笑わせ、時には自分の失敗をも笑い話にしてしまうような男だった。声が甲高いために、尚うるさく聞こえた。そういう奴に限って、人並み以上にナイーブな所がある。彼もまた、ちょっとした事ですぐに落ち込んでしまうタイプだった。クラスの人気者だったが、同時に嫌われ者でもあった。失礼な話だが、僕も何度か、邪魔者扱いにした事がある。とにかく、良い意味でも悪い意味でも、目立つ存在であった。
 けれどもまさか、僕らより先に逝くとは思ってもみなかった。
「百年は生きるような気がしたのになあ」ぽつりと川口が呟く。
「確かに」
「でも高校の時から運のない男ではあったけどね」
 有村のその言葉は、笑えなかった。
 ラーメン屋を出ると、再び彼の実家へ向かって車は走り始めた。道は更に細くなり、それとともに険しくなった。急な上り坂やヘアピンカーブが何度か続いた後、やっと彼の家にたどり着く事ができた。家以外に明かりは殆どなくなって、何も見ることができない。星や月ばかりが、眩いくらいに輝いている。
 彼の家は、すでに黒白の幕が張られて、夜にもかかわらず多くの弔問客が周辺を散策し、また家の中でもかなりの人が居る様子だった。皆一様に神妙な顔をしている。車の中では、多少の冗談を言い合っていた僕らも、流石に無口になった。三人並んで、彼の家へ入って行く。
 扉を開け「こんばんわ」と言うと、奥の方から、八十前後のお婆さんが姿を現し、「どうぞどうぞ、お入り下さい」とだけ言って、また奥の方へどたどた歩いて行った。その言葉通りに、僕らは靴を脱ぎ、お婆さんが歩いて行った方向へと歩く。襖から明るい光が漏れているのを確認して、ゆっくりと襖を開く。その瞬間、僕は驚きのあまり息が詰まりそうになった。
 立派な祭壇を目の当たりにしたのである。通夜をやっているのだから当り前の光景なのだが、それを見た時の僕の衝撃は、想像を絶する程だった。この時初めて、ああ、本当に彼は死んだのだな、と実感した。同時に、全身の力が抜けていくような感があった。
 そして、この祭壇を介して、あの世とこの世が一つにつながっているような錯覚を覚えた。
「どうぞ、こちらに座って下さい」
 言われた通りに僕らが座ると、間もなく彼の母親がやって来て、長々と挨拶をした。
「この度はどうも、息子が不幸なことになりまして……」
 僕の見る限りでは、随分落ち着いているように見えたが、有村の話によると、事故の届けが来た直後は狂ったように泣きわめいたそうだ。今はどうにか冷静さを取り戻した様子だったが、葬儀の時には再び泣き崩れるのだろうか。
 母親の話はまだ続いている。
「息子が真夜中に電話をかけて来て、悪いけど、もしかしたら明日は帰れないかも知れないから、て言ったんですよ。珍しいこともあると思ってたら、その三時間後でしたね。病院から電話が来たのは。ああ、あれは、虫の知らせだったんだと、つくづく感じました」
 単なる偶然か、或いは母親の言う通りなのか、今となっては知る由もないが、不思議な話だった。あの男にも虫の知らせが来るのか。不謹慎な事だが、そんな事を考えていた。
「皆さんは、息子の同級生なのですか」
「ええ」
「はあ。息子はだいぶ迷惑をかけてたでしょう」
 三人とも困惑した。本当のことを言うべきか、否定するべきなのか。とにかく下手な事は言えないと思っていたに違いない。迷った挙句、最初に答えたのは僕だった。
「彼はいつもクラスのムードメーカーでした」
 母親の口から、ふっと、笑みが漏れた。良かった。ほっとした。母親のその姿を見ただけでも、救われた気分になった。思わず涙腺を駆け上るものを感じた。
 母親が話を終えて席を立つと、次から次に親戚の人達が来て、僕らに彼の幼い頃の話を聞かせてくれた。或る髭もじゃのおじさんは、幼い頃よくその辺の田んぼを走り回って、かまきりに手を挟まれては、泣いて帰って来たという話をした。顔中皺だらけのお婆さんは、小学校の頃、一人で泊まりに来た事があったが、夜中急に泣き出してしまって、どうすれば良いか分からず戸惑ったという話をした。皆それぞれに複雑な思いを抱いている。話を聞いていただけでも、その事は充分に感じ取ることができた。
 特に印象深かったのは、頭のはげ上がったおじさんの話した事である。彼は、家ではいつも母親に甘えていたと言うのである。高校の時、僕は何気なく、彼に家族について尋ねた事があった。彼は答えようとはしなかった。僕は更に強い調子で尋ねてみると、彼はただ一言「母さんなんか嫌いだ」と言ったきり、その場から逃げ出してしまった。それ以降も、家族に対して敵意を持っているような発言を繰り返してたのだが、どうやらあれが、彼なりの愛情表現だったようだ。他のどの話よりも、彼の人間っぽい部分が伺い知れて、思わず微笑みが漏れた。
 親戚の人達の話を聞いた後で、時計に目をやると、もう九時を越えていた。だいぶ長居してしまった。
「すみません。そろそろ帰ります」と僕は母親に告げて、腰を上げると、母親は慌てて僕らを引き留めた。
「まだまだいいじゃないですか」
「申し訳ありません。実は今日帰って来て、それから直接来たものですから……」
「そうですか、それじゃ仕方ないですね」母親はいかにも寂しげな表情を見せた。胸を締め付けられる思いがした。
「ご迷惑かけて済みません。でも、とりあえず息子の顔だけでも見てやって下さい。息子も、どこかで喜んでると思いますから」
「そうですか」
「ええ。だいぶ綺麗になっていますから……」
「はあ。分かりました」
 既に顔を見る前から心臓が高鳴っている。彼の家を訊ねるとは言え、僕は彼の顔だけは見ないつもりだった。高校の時の、元気に溢れていた彼を毎日のように見ていただけに、身動き一つしない彼の顔を見るのは、やはりどう仕様もなく恐ろしかった。一生頭に焼き付いて離れないのではないかとさえ思った。しかし成り行き上、見ない訳には行かない。ちょっとだけ見る素振りをして、すぐに目を背ければいいだろう。そのくらいに思って棺の中を覗いてみた。
 しかし、気が付けば僕は彼の顔をまじまじと見つめていたのである。そこには僕の思いとは裏腹の彼の姿があった。
 意外なほど美しい顔をしている。まるで生まれたての赤ん坊のようだった。肌がやけにつやつやしている。化粧をしているからだろうか。鼻の穴には蝋が詰められ、頭髪はきれいに揃えられ、安らかに目を閉じ、口はほんのわずかに開いたままになっている。事故死とは思えない程綺麗な姿で、眠っているようにしか見えなかった。今にもむっくり起きあがり、いつもの意地らしい笑みとともに「よう。何しに来たんだ」と話しかけて来そうだった。彼の顔と対面したら、過去の思い出が走馬灯のように駆け巡るのだろうか、と考えていたが、実際には何の考えも起こらなかった。勿論涙は出ない。感傷さえ起こらない。ただ美しい彼の顔に、吸い込まれていくような錯覚を覚えた。それだけだった。
 帰りの車の中では、三人とも殆ど口を開くことはなく、時たま川口が冗談を言ってみたりしたが、虚しいだけだった。三人とも、今日の事について、色々な考えを巡らせているらしかった。勿論僕も例外ではない。改めて、死ぬ事について考える機会を得た。
 僕が初めて「死ぬ」という事を自覚したのは、小学校二年の時だ。他の人に比べれば、だいぶ早かったように思われる。学校からの帰り道、ふと、漠然とではあるが、日一日とその日が迫っているのかも知れない、と思い、怖くなった。それから今日まで、およそ十二年以上、生きている限り免れない事として、その事を捉えていたが、彼の死は、更に現実的な存在として、目の前にまで迫って来つつあるのだという事実を見せつけられる結果となった。僕にとっては衝撃的な事件だった。
 彼が事故に遭ったその瞬間から、僕らは彼が決して体験する事のできない、それ以降の日々を過ごしているのである。彼は来るべき二十代の日々を過ごすことなく終わった。結婚して、子供が生まれ、家族ができる、その喜びも、彼は決して知る事なく終わってしまった。
 けれども決して可哀想な事だとは思わない。彼はこれから僕らが味わう事になる幾つもの苦痛を回避する事ができた。その点では羨ましいと言わざるを得ない。確かに彼は苦痛と共に喜びを感じる事なく人生を終えてしまった。それは残念な事だけれども、むしろ、彼が十九歳で終わることは天の定めであって、彼はその定め通りにこの世での役目を終えて、旅立って行ったのだと考えるのが自然で、この立場に立って考えれば、何も可哀想な事ではないし残念でもないと思った。更に、彼は僕らの記憶の中では永久に十代である。そのことは、今はいかに重要な事か、実感はないけれども、僕らが三十代、四十代になった頃、重要な意味を持って来るはずである。
 年を経るごとに、年齢を重ね、またそれとともに、僕らは老いて行かなければならない。せっかく十代の内に身につけた体力や記憶力、能力といったものも、歳をとるごとに失われて行く。僕のように体力も記憶力も人並みに身に付かなかった人は、この事実をどう受け止めれば良いのだろうか。これから先、身に付けるものと言えば、世間の目を気にして愛想を振りまくだけの要領の良さくらいのものだろう。あとはただ失っていくばかりだ。そして僕らもまた、彼と同じようにいずれ死に行く存在である。他の人達はどんな道を選んでいるのか、僕は知らないが、とにかく自分が満足できる道を歩むべきだと強く感じた。多少の失敗はあっても、死ぬ間際に満足できれば、それで良いじゃないか。
 結局のところ、僕は未だに彼の死についての結論をまとめきれずに居るが、このようなことを、彼の死を通して最も強く感じた。その事だけ記録して、この乱雑極まりない文章を締めくくりたいと思っている。
 もうあれから半年が経った。僕は未だに、この地でぼんやりと生きている。彼よりも半年余計に過ごして来たのだが、もしかしたら彼は死ぬべきではなかったのかも知れない。むしろ死ぬべきは、こうして生きる意味すら見出せず、茫然と、出来るだけ人々に奇異な印象を与えないように、無難な生き方をしている人間の方なのかも知れない、という考えが起こって来た。けれども、考えるだけで何の行動にも移す事ができない。相変わらず、狭い六畳間に寝転がったままで、ただ一日が過ぎるのを待っている。こうしている内にも、確実にその日は迫って来ていると言うのに。






破天荒 平成10年11,12月号より

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