『Great terrors』 絢夕莉(あや ゆうり)

名前の読み方
明華(メイファ)  羽珠(はねず)  耀輝(ヨウキ)
依彦(えひこ)   維那(イナ)



 緑の濃いさほど高くない山々がおだやかな稜線を描いて、村を囲んでいる。村の端には大きな川が流れ、そこから引かれる豊富な水によって田んぼの稲は青々と茂っている。その稲を初夏の爽やかな風が、さわさわと揺らして吹き抜けていく。
 のどかで穏やかな典型的な田園風景がそこには広がっていた。
 そんな穏やかな風景の中で……
 「とっとと鬼が島に帰れー!!」
 明華は赤鬼を張り倒していた。
 愛用のハンマーがうなりを上げて、赤鬼の顔面にヒットする。身長2メートルはある赤鬼の巨体がまるで独楽のように錐揉みしながら宙を舞い、轟音を上げて地面に激突した。赤鬼はしばらくの間ヒクヒクと痙攣していたが、やがて地面に溶けるように消えていった。
 不思議なことに赤鬼が消えた後には、その空間に黒い亀裂のようなものが出現していた。
「……や…やっと、終わった…………」
 ゼーハーと荒く息をつきながら、明華はその場にへたり込む。
 右手に握っていたハンマーがふわりと光を帯びると、まるで飴細工のようにぐにゃりと変形した。あとには狐と兎を足して二で割ったような黒い生物が、ちょこんと座っていた。
「ああ、維那ご苦労」
 明華はすり寄ってくる維那の頭を撫でてやる。
「明華ちゃーん。お疲れ様でーすv」
 のほほーんとした声が後ろからかけられる。振り向くと、明華のパートナーの羽珠がほんわかとした笑顔で立っていた。
「あ゛〜……羽珠、後よろしく〜」
「ええ、お任せをv グーちゃん!」
 羽珠が呼ぶと、てぺてぺと羽珠の後をついてきた生物が、「ぐぐ〜っ」と応えた。
 それはどう見てもイワトビペンギンだった。しかし、デカい。そのまま凶器になりそうな飾り毛を含めて、その背丈は羽珠の腰まである。おまけに目つきが悪い。ただそこにいるだけで周囲を威嚇しているような威圧感があった。
 そのグーチャンの姿がボウッと光ったかと思うと、羽珠の手の中に巨大な縫い針が出現した。羽珠が針穴に糸を通すような仕草をすると、手には何もなかったはずなのに針穴には光る糸が通っていた。
 羽珠は黒い亀裂に近づき、目にも留まらぬ速さで針を一閃した。黒い亀裂が瞬く間に縫われて消失する。
「修復完了でーすv」
 羽珠はにこやかに告げた。






    1
「物語」とはひとつの世界。本の中の幻世に「物語」のかずだけ世界は存在し、その世界の住人たちがそれぞれの日々を営んでいる。
 しかし、「物語」の世界は不安定で、現世に引きずられて変容してしまうことがある。そうなると、「物語」と「物語」の境界は曖昧となり、他の世界とも容易に混ざり合ってしまうのである。これを境迷という。
 この境迷が起こると多くの場合、「物語」の登場人物が他の「物語」の世界に迷いこみ、ストーリーが変化してしまうのだ。
 例えば「さるかに合戦」のカニたちが敵討ちに行って、孫悟空にボッコゴッコの返り討ちにされるシーンを読んだお子様たちが早々に世の理不尽さを知り、将来に夢も希望も持たなくなったり、妙に世間ずれして可愛げがなくなったりして親を嘆かせるなど、その被害は現世にも影響する。
 そのため幻世は、とある者たちの管理下に置かれ、綻びや境迷は即座に修正されるようになった。
 その者たちは、本来現世の者が足を踏み入れることのできない幻世に渡る「力」を持つ。彼らは、境迷を正す「環」の能力を持つ調整師と綻びや境界を直す「縫」の能力を持つ修復師に分けられ、子供のころにひとつの所に集められ訓練と実践によって各能力を高めていく。
 明華と羽珠は、その調整師と修復師の訓令生だった。



 将来の調整師と修復師の卵たちを一同に集め、教育と訓練を施す「幻塔アカデミー」。明華と羽珠はそこの初等部6年に在籍している。
「……………………。」
 昼休みの中庭で、明華が無言で額に汗しているのには訳がある。明華の視線の先には、上品にハンバーガーを口に運ぶ羽珠がいる。ハンバーガーが問題だった。
「幻塔アカデミー」の購買部で売っているパンは、すべて学内にある工場で作られ、いつも出来たてほやほやが並べられるようになっている。その購買部が何をとち狂ったのか新企画で販売した新商品がある。その名も「闇鍋バーガー」。食べてみるまで何がはさまっているか分からないという恐怖の代物だ。無論お残し厳禁である。
 数々の勇気ある者たち(物好きとも言う)が挑戦し、蝗の佃煮や食用ミミズなどに当たって撃沈していった。
 しかし、中にはそんなものにビクともしない強者もいた。羽珠もその一人である。
 現に、今明華の目の前で羽珠が口にしているハンバーガーから、ニョッキリと一本の脚が突き出ていた。火が通って収縮しているものの、その脚からとある両生類を連想することは十分に可能であった。
(……………………うえっ)
「おや?明華ちゃん、どっか具合でも悪いんですか?」
 思いっきり食欲をなくして箸を置いた明華に、きょとんとした様子で羽珠が尋ねてくる。
(あんたのせーだ!! あんたのっ!)
 明華は、声には出さずに心の中でつっこむ。
 さらさらとした薄茶色の髪に縁取られ、いかにもお嬢様然としたふんわり可憐な容貌とは裏腹に、羽珠の内面は異次元だった。とにかく、得体が知れない。しかし、初等部1年のころからペアを組んできた明華は、その性質の悪さをいやというほど知っている。下手に怒らすと、笑顔で何をやらかすか分からない娘なのだ。
 羽珠と違って直情型で口より先に手や足が出る明華ではあるが、そこんとこはバッチリ見に染みているので下手な言動は慎むようにしている。
 そのとき、明華と羽珠の所に二人の小年が近づいてきた。交渉は中等部3年のものだ。
「あれ? お兄ちゃん達、これから『修正』?」
 二人は明華と羽珠、それぞれの兄である耀輝と依彦である。彼らはそれぞれ調整師と修復師の修練着を着ていた。修練着は特殊な素材で作られていて、これがなければいかに優秀な調整師・修復師でも幻世に渡ることは出来ないのだ。ちなみに明華立ちもこのあと『修正』に向かわなければならないので、すでに修練着に着替えている。
「ああ、そーだよ。お前たちもだろ?だから忠告しにやって来てやったんだよ」
「「忠告?」」
 耀輝の言葉に明華と羽珠は顔を見合わせる。
「どういうことなの?」
「うん! 俺はうまく説明できないから、依彦説明してやってくれ!」
「「ちょっと待て」」
 同時につっこむ明華と依彦。二人の声が見事にハモる。
「おまえ、自分が忠告に行こうって言い出しといて、説明は僕任せか」
「そーよ、お兄ちゃん。頼むから、自分はバカですって宣言するようなこと言わないで!恥ずかしいから」
 パートナーと妹に言い寄られても耀輝はけろりとしている。
「だって俺が説明するより、依彦が説明したほうが断然分かりやすいぞ?なにしろ俺の国語は2だからな!」
「胸張って言うことかぁー!!」

 ズバシッ


 どこからともなく取り出したハリセンで、明華は容赦なく兄を張り倒した。地に倒れ伏す兄を無視して、依彦に向き直る。
「失礼しました。愚兄はほっといて、説明をお願いします」
「うん、実はね……。どうも幻世で『震』が起こったらしいんだ」
「『震』が!」
「そうなんだ。だから今回の『修正』はちょっと厄介かもしれない」
「『上物』がいるかもしれないってことですね?」
「その可能性は高いよ」


 幻世は物語の内容の対象のレベルによって、いくつかの階層に分かれていて、調整師・修復師の負う危険度の高さも階によって異なってくる。
 例えば、明華たち初等部の訓練性が担当する第一階層は、比較的安全な階である。第一階層に存在する「物語」は童話や御伽噺の類で、登場人物は鬼や狼に食べられても噛み砕かれることなく五体満足、無傷で生還出来るのだ。この特性は、その地に降り立った調整師・修復師にも作用する。
 しかし、これが神話や伝承の存在する階になると危険度はグンッと上がり、現世以上に死と隣り合わせの世界に降り立つことになる。
 明華の祖父などは、現役時代に北欧神話のラグナロクに巻き込まれかけて、九死に一生を得たことがあるという。
 そして、境迷はひとつの階の中でのみ起こるものであり、決してそれによって上の階と下の階が交じり合うことはないのである。
 けれども時として、上の階と下の階が境迷により更に強い歪みによって交じり合うことがある。それが「震」である。「震」が起こると、上層の登場人物が下の世界に落ちてくる。それを「上物」と呼ぶのだ。


「うーん、『上物』かぁ……。気を引き締めていかなきゃね」
「そうですね。まだ当たったことありませんし……」
「だろっ! だから、忠告しにきてやったんだよ」
 いきなり復活する耀輝。
「たぶん、渡る前に教官からも言われるだろうけど、先に聞いておけてよかったです。有難うございました。依彦先輩!
 そんな兄をきっぱり無視して、明華は依彦のみ礼を言う。
「有難うございます。兄さま」
 羽珠もそれに倣う。
「ちょっと待て!俺に礼はどーしたっ!!」
「じゃあ、俺たちは行くから。二人とも気をつけて」
 そう言うと、依彦は喚く耀輝を引きずって去っていった。
「我が兄ながら、恥ずかしいヤツ……」
 兄たちが去っていったほうを見ながら、明華はぼそりとつぶやく。
「あれで、調整師としての腕も悪かったら目も当てられませんねv」
 羽珠は容赦がない。
「……さてと、私たちもそろそろ行こうか」




    2
 深く碧い水を湛えた湖。それを鮮やかな緑を誇る草原が囲み、更に黒々とした森がその周りを囲んでいる。遠くには山頂に白い雪を抱いた山々が高く聳え立っている。湖の周りには、いくつか家が点在していた。
 明華と羽珠は、その草原に降り立つ。
「キーッ」
「グゲーッ」
 突然、鳴き声が聞こえてきて、二人の影から何かが飛び出してきた。維那とグーちゃんである。
 この二匹は明華と羽珠の使獣なのである。使獣は調整師・修復師に必ず一匹ついており、「修正」の際に必要な道具に変化することができる。 「獣」といっても使獣は、幻世の中でのみ具現化する調整師・修復師の分身ともいえる存在である。
 使獣の姿は、調整師・修正師が自分で考え出すことができるので、個人の趣味がモロに反映される。それでいうと、羽珠のグーちゃんなどはかなり悪趣味と言える。
「さーてと、今回の標的はどんなのだろーね?」
「『上物』だったら、面白くなりますねぇーv」
「なってたまるかぁー!!」
 明華が凄まじいスピードで繰り出したハリセンを羽珠は余裕でひらりとかわす。
「ぐぬ〜……」
『修正』の際、標的との戦闘もありえるため調整師は高い戦闘力を持つ。逆に修復師はその必要がないため、修復師の身体能力は基本的に調整師よりも低くなる。
 しかし、羽珠は修復師であるにもかかわらず、調整師なみの身体能力を有していた。下手すると、明華を含め常に戦闘訓練を受けている同世代のどの調整師よりも強いかもしれない。
(これで『環』の能力が発現してたら、とんでもない天才調整師になってたんだろうな…………)
 そうなれば、明華のライバルになっていたということである。実際には羽珠に発現したのは「縫」の能力で、彼女は修復師となった。しかも、初等部の修復師の中では名実ともにダントツのトップだ。
(良かった。羽珠が調整しにならなくて本っ当によかった)
 明華とて弱いわけではない。それどころか調整師としての実力は初等部の中でも五指に入る。それでも、羽珠が調整師になっていたら、明華には手も足も出なかっただろう。
 普段のおっとり笑顔に隠されているが、羽珠の奥の深さはきっと奈落よりも深いと明華は睨んでいる。
 とりあえず歩き出した時、羽珠は前方に人影……らしきものを発見した。それは……
「……………………ヤギ?」
「山羊にしか見えませんねぇ。二本足で服も着てますけど」
 たしかにそれは山羊だった。どー見ても山羊だった。
 角がそんなに大きくないうえに、スカートを身に着けているから雌なのだろう。なにやら随分あわてた様子でこちらに向かって走ってくる。
 そのすぐ後ろをまだ角も生えていない小さなヤギが、とてとてと一生懸命ついて来る。
「かっ、かわいいっ!」
「まあv あの一生懸命なところが、特にかわいらしいですねぇv」
 二匹のあわて様には目もくれず、そんなことをほざく二人。
「どーやらここは、『7匹の子ヤギ』の世界みたいだね」
「ええ、状況的に上の六匹が食べられた後ってトコですか」
「あ〜。それじゃあ、その『狼』が今回の標的かな」
 境迷によって紛れ込んできた他世界のキャラクターは、その世界にとって異物である。そして、調整師と修復師もまた異物なのである。
 閉じられた空間である「世界」は、本来ならあり得ないはずの異物を排除しようと動き始める。その作用によって、異物である調整師たちと標的は自然と引き寄せられるのである。
 そうこうしている間に、二匹は明華たちに近づいてきた。
「すみません! お尋ねしたいことがあるんですが」
「はいv 何でしょう?」
 こういう場合、登場人物のペースに合わせることが原則となっている。そうすれば、登場人物が自然と標的のもとへ案内してくれるのだ。
 このときも明華と羽珠はにこやかに且つ、自然に対応した。が、次の一言でブッ飛んだ。
「ここいらで、ドラゴンを見かけませんでしたか?」
「ドラゴンッ!!!」




    3
「えーとぉ……。ドラゴンというのはやっぱり……、トカゲに羽の生えたようなモノのことですか?」
 驚きのあまり化石と化してしまった明華にかわり、羽珠が控えめに確認をとる。その声は珍しく上ずっている。
「ええ、そうです。そのドラゴンです。うちの子がそいつに食われてしまったんです!」
「まあぁぁv『上物』大当たりv」
「喜ぶなぁー!!」
 石化が解けた明華は、羽珠の胸倉を引っつかんで遠慮なくガンガン揺さぶる。羽珠は笑顔のままでされるに任せている。 その横ではグーちゃんが真似して前進をガガッと震動させている。傍から見てると非常に怖い。
「お前ってヤツは! お前ってヤツは! どーしていっつもこーなのよっ!」
「ほほほほっ! 明華ちゃん、ヤギさnが驚いていますから、そろそろやめてくださいな」
「ハッ!?」
 ようやく我に返る明華。
「あ……あのう…………よろしいですか?」
 やや引き気味に母ヤギが尋ねてくる。子ヤギにいたっては涙目になって母親の後ろに隠れていた。
「失礼しましたv どうぞ続けてくださいませ」
 何事もなかったかのように、にこやかに先を促す羽珠。有無を言わせぬその笑顔に、気圧されたように母ヤギは言葉を続ける。
「ええっと、そのう……お手数ですが探すのを手伝っていただけませんか?」
「ええ、喜んでv」
 羽珠はにこやかに請け負った。




    4
 森がすぐそこに迫っている湖の辺に、そいつはいた。小山のような腹が規則正しく上下していることから、満腹で熟睡しているらしい。太陽に照らされていても、その体は内からにじみ出す闇の色に染まっていた。
「……………………ねぇ、あのドラゴンって……」
「○ィズニーの『眠れる森の美女』に出てくるヤツですねv」
 茂みに隠れて様子を伺いながら、明華と羽珠はひそひそと言葉をかわす。
「セオリー通りにいくなら、ここであのドラゴンのお腹を掻っ捌けばいいんですよね?」
「……無理だって……」
 それ以前にドラゴンの皮膚は硬くて、易々と刃物を通してはくれないである。
「さーて、どーするかなー……」
 と、明華がため息をついた時だった。
「ドラゴンさん!おにーちゃんとおねーちゃんをかえしてっ!」
 かわいらしい声とともに、母ヤギの静止を振り切って、末っ子の子ヤギがドラゴンに突進して行った。
(っだああぁぁぁぁーっ!! アホかぁーっ!!!)
 心の中で絶叫し、思わず即身仏になってしまう明華。が、すぐに復活すると子ヤギの後を追って茂みを飛び出した。
「冗談も休み休み言えっ! このバカーッ!!」
 追いつくなりその丸っこいからだを蹴り飛ばし、自分もその反動を利用して横に飛ぶ。
 直後、二人がいた場所を目覚めたドラゴンの牙がかすめた。
「こっのおっ! 維那!」
 明華が叫ぶと、維那の体が光に包まれ、次の瞬間には明華の手にはハンマーが握られていた。
「でえぇぇぇぇぇーいっ!」
 明華はハンマーでドラゴンの鼻柱を思いっきりブン殴った。
 ドラゴンが悲痛な声をあげて後退する。どうやら「震」によって下層に落ちたことで力が半減しているようだ。
「よっしゃあ! いけるっ!」
 明華はもう一撃加えようとすばやく体勢を整える。が、その時とんでもないことが起こった。
 ドラゴンがその鎌首を別の方角へ向けたのである。
 そこには子ヤギを抱えて走る羽珠がいた。
「羽珠! 危ない!」

 そこからはまるでスローモーションだった。
 いくら羽珠でも子ヤギを抱えたまま逃げ切ることは出来ずに、ドラゴンにあっさり追いつかれる。
 とっさに羽珠は子ヤギを茂みの方へ投げる。>br>  しかし、羽珠に出来たのはそこまでだった。

「羽珠ーっ!」
 明華は目の前で起きていることから目をそらすことが出来なかった。
 羽珠の体が、ドラゴンの口の中に消えていくのをその目はしっかりと捉えていた。
「うっ…うわあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
 明華は絶叫すると、ドラゴンに向かって突進した。と、
「!」
 明華の横を何かがすごい勢いで通り過ぎた。
「ッギィィィィィィィィィィィッ!!!」
 ドラゴンがさっきとは比べ物にならないほど、悲痛な絶叫をあげる。
「……………………………………うそおっ!?」
 明華は思わず我が目を疑う。
 ドラゴンの腹にグーちゃんが、文字通り突き刺さっていた。しかも垂直に。あのツンとした黄色い飾り毛が、鉄より硬いドラゴンの腹に深々と突き刺さり、グーちゃんの体を支えているのだ。
「うそや、そんなんっ!!」
 思わず関西弁でつっこむ明華。
 さらに信じられないことに、グーちゃんは体をドリルのように回転させると、その腹の中に潜り込んでいった。
 あまりに非現実的な光景を目の前で展開され、重苦しい空気の中、後に残された者たちは痛みにのたうつドラゴンは別として、ただ呆然としているしかなかった。
 どれくらい時が経ったかはわからないが、自失していた明華はドラゴンのさらに悲痛な声に我に返った。
 見ると、ドラゴンの腹から鋭い刃物の切っ先が覗いている。と思う間も無く、ドラゴンの腹が内側から切り裂かれた。そして、腹の中から右手で巨大な裁ちばさみを持ち、左手で大きな何かを引きずった羽珠が姿を現わしたのだ。
「は…ははははははっ羽珠ー!?」
 明華はダッシュで駆け寄るなり、
「いいいいいい生きてるーっ! なんでーっ!? ドラゴンに飲み込まれたのにーっ!!!」
 半ば殺しかねない勢いで羽珠を揺さぶる。
 完全にパニック状態に陥っていた。
「ほほほほっv どうにか。第一階層の特質のおかげですね」
「特性…………?」
 明華の動きがぴたりと止まり、顔に徐々に理解の色が広がっていく。
 第一階層の特性は「死なない・流血しない」である。つまり……
「何だー! そっかー! 飲み込まれても死なないんじゃん!! それならそーと先に言っててよ!! あはははははははははっ!!!!」
 ショッキングなことが次々と起こったために、精神のタガが吹っ飛んだらしく、明華は狂ったように笑いだした。羽珠はとりあえず笑いの発作が治まるのを待っている。
「…ははははははっ!……ぐっ」
 笑いすぎて息がつまり、グホガホッと咳き込んでから、明華はそれに気づいた。
「………………羽珠、それって……まさか」
 それは、目を回してぐったりしている狼だった。やけに腹が膨らんでいる。
「うふふふv 御明察通り。子ヤギを飲み込んでいる狼です」
「じゃあ、この腹を切れば……」
「名から子ヤギが出てくるでしょうけど、それは私たちの役目ではありません。すべては『修正』が終わってからです」
「ああ、そっか。それじゃあ、早速……って羽珠?」
 明華がいぶかしげな顔をしたのは、羽珠が明華の修練着をガッシッと掴んだからである。
 羽珠は伏せていた顔をあげて、「にーっこり」と満面の笑みを浮かべた。
 その笑顔を見た瞬間、明華の顔からザーッと音を立てて血の気が引いていった。
 その笑顔のままで羽珠は言い放つ。
「『七匹の子ヤギ』の世界に来て、間接的にとはいえ子ヤギを飲み込んだ以上、このドラゴンにはセオリー通りの罰が必要だと思うんです」
 彼女の隣には、いつのまにやらグーちゃんがどこからともなく集めてきた漬物石に最適な石が、山積みになっていた。
(おおおおお怒ってる……! 羽珠が腹が煮えくり返るほど怒ってるっ!)
 明華はじりじりと後退ると、ヤギの親子を促してその場からできるだけ遠ざかった。
 ああなった羽珠は誰にも止められない。
 そして惨劇の幕は開けた。




    5
 幻塔アカデミーの中庭で、明華と羽珠は今日も昼食をとっていた。
 また、羽珠が買ってきたヤミ鍋バーガーから覗く尻尾に、先日羽珠によって腹に石を詰められ、湖に蹴落とされた最大最強の爬虫類を思い出してしまった明華だが、今日は箸を置かずに食事を続けている。
「あら、あれは兄さまたちでは?」
「あ、ホントだ」
 今日はふたりともアカデミーの制服姿だ。
「よーお前ら聞いたか?」
 耀輝がなにやらわくわくとした様子で聞いてきた。
「?」
「何を?」
「聞いて驚け、見て驚け……」
「見れない、見れない」
「この間の『震』があった後、幻世で怪奇現象がいくつか起こったらしいんだ」
「へー、どんな?」
「ドラゴンが水恐怖症になったり、ヤギとかが刃物恐怖症だか、尖端恐怖症だかになったらしいぞ」
   グボッ  思いっきりお茶を噴出する明華。その隣では、羽珠がそ知らぬ顔で好物のメロンパンに取り掛かっている。
「汚ねーな。何やってんだよ明華」
「ごごごごごめんっ!」
 あわてて取り繕いながら、明華は内心冷や汗を流していた。
 その怪奇現象の原因は隣で涼しい顔をしている。
 ドラゴンは言うに及ばず、ヤギの刃物恐怖症も原因は羽珠であった。
 すべての「修正」を終えた後、目の前で世にも恐ろしい光景を見せられて、すっかり怯えてしまった母ヤギにはさみを差し出し、狼を指差して羽珠はにっこり笑ってこう言ったのだった。
「次はあなたがやる番ですよv」

【終】




北九州文学 2002年度版より

戻る