・謎のゴマ 一人暮らしを始め、親の保護下を離れたものにとって最初の試練が訪れるのは一年目の六月である。四月五月は新入生歓迎会だのゴールデンウィークだので見る見る間に過ぎて行くものだ。二月も経ち、新生活が軌道に乗ってきたかな? という実感を感じ始める頃、幸せな生活に黒雲がさしかかるのだ。 私はきれい好きなことで知られている。文芸研究会の部室掃除など、誰にほめられるでもなく良く行っているものだ。六畳の部屋も、物が少ない事もあるが、わりとまめに掃除しているので一人暮らしの男の部屋にしては片付いていると思う。 と、こう書くといささか言いすぎな感もあるのでやめにしておく。あくまで主観的に言っているのであり、おそらく本物のキレイ好きが見れば掃除をしたくなる程度には散らかっている、と付け加えておこう。でなければあんな事件が起こるはずはないのだから。 前置きが長くなったが本題に入る。流しに置く三角コーナーは皆さんご存知だろう。私は百円均一で購入したものに、これまた同じ店で買ったネットを取り付けて使用している。 六月始め、昨日作ったばかりの味噌汁が、次の日の夕方には腐っているという事件が起こった。具はニンジンと大根だった。腐った味噌汁を飲んだのはそれが初めてだ。保存食である味噌から作られたものがそう簡単に腐るわけがない、と私は非論理的な認識を味噌汁に対してもっていたのだが、甘かった。ハテ誰かが酢でも入れたのかのう、などと舌の上で変質した元味噌汁を転がして数秒後、ようやく私はそれをお椀の中に吐き出した。 一人暮らしの味噌汁がそうすぐに無くなることはないので、まだたくさん残っていた鍋の中身を泣く泣く三角コーナーの中に廃棄した。この時点で、コーナーの中には大根とニンジンの切れ端と、味噌汁の具であったものがドサリと入っていた。 上が90しかいかない低血圧の私は朝が弱い。一人暮らしを始めるようになってからというもの、一限目は必ず遅刻するようになった。遅刻してしまうとは分かっているので、急がずにはいられない。まれに三十分遅れで入室してくるものいるが私は到底あんなに図々しくはなれない。故に、朝にはバタバタする。そんなこともあって、ごみを捨て忘れることが数回続いた。 台所に集めてあるごみが異臭を放ち始めると、視覚的には無視できても他の感覚器官がごみを認知してしまう様になる。つまり臭いのだ。そのころ、おかずを缶詰に頼るようになった私は、当然台所にいる時間が以前より少なくなっていた。 米だけは炊くので、電子ジャーの釜を洗うときにご飯粒の残りが出る。この残りはもちろん三角コーナー行きになるのだが、そこには一週間ほど前の味噌汁の残骸がまだ中に入っている。もったいないのでいっぱいいっぱいになるまでネットは替えないように心がけていただけあって中身はみっちり、大漁だった。 くさい! 嫌な重みを手に感じつつネットを取り上げると、新品の芳香剤を開けたときのように匂いが台所にたちこめた。指先だけでつまんだそれを指定ゴミ袋にポイすると早々に台所を後にして、プレステを始めた。 恐らく、このときの不始末は一生トラウマとして残るだろう。次の日も私はゴミを出し忘れてしまったのだ。 ゴミを出し忘れたからと言ってゴミが出ないわけではない。当時特にゴミ箱は設けず、袋に直接ゴミを捨てているうちに、自重で袋が自立するようになっていた。 やれやれ、いい加減にゴミを出さないとなあ、と思いつつ、満タンになったゴミ袋は二つ。一つ目は既に封をしてあるが、次のゴミ捨てまでに三つ目の袋を使い始めるにはもったいなくて気が引けた。袋だって、ただではないのだ。一人暮らしを始めるようになって妙にケチになってしまった。 ゴミを圧縮しようと袋に近づいた私の素足に、プチプチと妙な感覚があった。 何だゴマか。事実それはあまりにもゴマに酷似していた。待てよいつゴマなんか買ったっけ。ふと考えた私の周りを、よくみると無数のショウジョウバエが取り囲んでいた。 肛門から背骨にかけて走る怖気。今だから言うがこのとき、ちょっとだけちびってしまった。 風呂場に直行し、蛇口全開の最大水流で足を洗うと、もしかしてこの時のために買っていたかもしれない殺虫剤二缶セットの封を破り、もう一度現場に近づいてみた。豊富な食料、快適な温度、奴等にとってはこれ以上ない生育条件だったのだろう。袋の中にびっしりとゴマ――ショウジョウバエの蛹が付着していた。中には蛹になるワンステップ前のもの、要するに蛆、や大人になってしまったものが蠢いていた。 私は両手にある殺虫剤を袋めがけジョン・ウーもかくやと撃ちまくった。 それから、悪い事とは知りつつも、指定日でもないのに二つのゴミ袋を捨てに行ったのは言うまでもない。 |
・ピョコピョコ タイトルからは想像もつかないほど恐ろしい出来事だ。同じネタ続きなので先に言っておくがこれも虫関係の話だ。 話は変わるが百円均一ショップはすごい。生活必要品のほとんどが揃ってしまう。親からの仕送りもなく、細々と食いつないでいる貧乏学生の私にとってお金がかからない事ほど有難いことは無い。大学のゴミ捨て場と百円ショップには生活が落ち着いた今でも感謝している。例えばどんな物を買っただろうか。ちょっと見てみる事にしよう。 台所用品からは、コップ・小物立て・計量カップ・おたま・菜ばし・フライ返し・味噌漉し・三角コーナー・タライ・水切りカゴ。風呂場では石鹸置き、便所では子物置、スリッパ、ブラシ、玄関では靴置き、靴べら、部屋ではハンガー、などなど、ざっと目につく物だけを挙げたが、これらは入居当時から今でも現役で活躍している物だ。全く良く働いてくれている。 話を本題に戻す事にする。百円グッズの話は食器の水切りとその水受けを持ち出すための伏線であった。さらりと本題に入る方法が思いつかなかったので念のために書いておく。 水切りとは、洗った食器を拭くまでの間置いておくための道具である。そして、その下には皿などから落ちるしずくを受ける水受けがある。これは御存知だろう。私は、洗った皿を拭くのは面倒なので自然乾燥させている。まあ、こんな事は皆やっている事だろう。 ところで、私の家には食器棚が無い。三段ボックスが台所にも一個置いてあり、一番上を食器、二段目をカップラーメン、三段目を缶詰、と、言うように物置代わりに使っていたのだが、あるときラーメンを大量に購入して、二段目には収まらずに他の棚を利用した。それ以来、明確に区別する事は無くなり、三段ボックスはなんとなく食器棚、のような位置付けになってしまった。 食器棚としてボックスを使わなくなった理由はもう一つある。水切りカゴから直接食器を持ち出すようになったからだ。これは便利だった。乾いた食器を棚に戻す作業をしなくてよくなったのだ。 だが私は、皿から落ちた水滴が水受けをチャプチャプにすることを知らなかった。たかが水玉、自然に乾燥するぜ。などとこれまた不勉強から悲劇を招いてしまった。 無論、水受けになみなみと水がたまるには時間が必要だ。しかし、常時皿があるのではその下の事に気付く訳が無い。 ある日の昼、ラーメンどんぶりを持ち上げた拍子にたまたま目が行った。光の具合など、様々な条件が重なったのだろう。今まで見えなかった物が見えた。 あまり好まないので、小説では擬音表現は使わないのだが、今回はエッセイだし、万の虫蠢きたりと書くよりは恐怖が緩和される狙いもあるので多用している。そう、たまった水は濁り、その中で赤虫がピョコピョコとダンスしていた。 結論を言えば、ずぼらに生活しない限りは家の中で虫が湧くようなことは無いのである。が、誰もがそううまく生活できれば世話は無いのだ。こんな事があるよ。程度に参考にしてもらえれば幸いだ。 |
その他の虫ネタ サラダを食べていたら、7割ほど食べた所で芋虫が出てきた。しかし、どうも身体のパーツが足りない、見つからない =野菜は良く洗うこと 砂糖の容器の中に蟻がたかっていたときは驚いた。家は三階である =密閉できる容器に入れること 虫ではないが、夏場は階段の電灯の所にヤモリが最低一匹はいた。多い日は五匹 =嫌いなやつは良い所に住め |