『自分の好きなものには誠実に』 香夜



 昔からそれなりに時代劇が好きで、それなりに数多く見てきたとも思う。当然の事ながらそのなかには、べたぼれしているものもあれば、何だこれ、と思ったものもある。とりあえず、“時代劇”の体裁をとっていれば良しといった漢字で、老人の娯楽として身に甘んじ、すっかり枯れ果てているものもなんだが、また逆に、華やかではあるけども、時代劇というより単に着物着て京都の太秦で暮している現代人のお話、といった感じのものやはりなんである。という訳でこれからは(始めっからそうだけど)趣味的な話。別に時代劇マニアではないのでそれほど詳しくはないし、おそらく独断と偏見で書いているのあまり正確ではないかもしれない、が、そういったことはこの際意味の無いことだと思う。好きなものに対してぐらいは理性を捨てなくてどうするのか。






1.『影十八』



「これまでの時代劇と違い、各々の人の喜怒哀楽や様々な人間模様に重きをおいて……」ってな感じの事を言っていたわりには内容薄いね、という作品。(まさか、斬り合いのところを地味にしてうまくバランスとりましたって訳でもないだろう)。しかし、あまりそういったことに拘り過ぎて、ごくごく平凡な現代人の日常をそのまま映像化してしまっても仕方ないし、あまり“江戸町民の日常を……”とやってしまうと、却ってわざとらしくてどうしようもなくなる気がする。寧ろ、この作品の素晴らしいところは、様々な時代劇に出演してはそれを枯れたもの(人気がないという意味ではない)にするのに大きく貢献している(と私には思えてならない)里見光太郎に色をつ__いるところと、オープニングにある。もしかしたら私はこのオープニングのみを毎週心待ちにしていたのかもしれない、と思われるほど、『暴れん坊将軍』を吉宗(松平建)ではなくほとんど出番のない御庭番(男の方)目当てで観ていたような人間の、心臓を撃ちぬいた代物だったのだ、これは。




2.『殿様風来坊』



 次期将軍候補の二人が城を抜け出し、各地で水戸黄門のようなマネをして廻る話。ここで注目すべきは主園の三田村邦彦ではなく、二人のお目付役として送られた御庭番(だったと思うが)役の京本政樹。この御庭番、必要な時だけ現われて用が済めばいなくなる、実に有能だが、実に慇懃無礼な態度の(主以外の人間はパセリにすぎぬということか)、地味なんだが妙に気になってしまう人物だった。京本政樹といえば、『必殺仕事人』などで結構華やかな役もやっているが、あの人はどちらかというと(私からみて)、枯れる寸前のススキのごとき美形(賛辞)なので、世捨て人だとかこういう役の方が実によく似合う。



3.『必殺仕事人』



 誰もが知っている有名シリーズ(でも実際に観たことがある人は意外と多くない)。スペシャル版を含めこのシリーズはほとんど制覇していると思う。小さな頃は、よく祖父をだしに(もしくは盾に)して観ていた。見せ場である“仕事”部分は本当に素晴らしかったのだが、そこに行き着くためには、善良の人間が無惨な死に方をしなければならないのが観ていて辛かった。あの頃のものは、とことん暗くドロドロしていて、なにやらいろんなモノがうごめいている崖下の闇をそっと覗き込むような不思議な高揚感があったものだ。
 個人的な好みでいけば、特にいいのが3,4作目。“三味線屋の勇次さん”(中条きよし)は子供の私からみて、姿形だけでなく生き方や背負っているものを含めた全ての意味で“美人な人”だった。(しかし、“勇次さん”じゃない中条きよしを目のあたりにするようになってからというもの、私の聖域は蝕まれつつある。時代劇役者にはあまりテレホンショッピングなどには出て欲しくない、というのは我がままにすぎぬけれど)中村主水(藤田まこと)は子供の私にとっては“他の仕事人達の出番を奪っている全くさえないおじさん”にすぎなかった。勇次さんについては、暗い過去と、血の繋がらない母親を背負って消えていく場面の印象が強烈で、彼を、気障だとか遊び人だとかいうのを聞くと不思議でしょうがなかった。“飾り職人の秀さん”(三田村邦彦)が勇次さんと組んで“仕事”をするところは、実に絵になって良かった。この何作か後に出てくる“花屋の政さん”(村上弘明)には未だに惚れている。静かなる激情家で、優しいけど結構不器用(手先が、ではない)、無言で誰かのためにかけずり廻る人という印象がある。――とまあ各々の個性を挙げだしたらきっと切りがない。




4.『腕におぼえあり』



 NHKで5年程前に放送していたもの。内容は題名ほど能天気ではない。藩主毒殺の陰謀を知り、その一味であるいいなずけの父を斬ってしまい脱藩した青江又八郎(村上弘明)が江戸へ出て用心棒家業をしながら、国もとからの死客と渡り合うという話に、赤穂浪士の討ち入りまでの話などもうまく組み合わせていた。仇討ちに燃える者、十数年仇討ちから逃げ続けた者、己の正義から仇討ちに参加しなかった者、の悲哀をそれぞれ表していたと思う(しかしその割に主人公自身の仇討ちは適当だった気もする)。他の時代劇に比べてなんだか目新しく、現代的というよりモダンな雰囲気をもっており、音楽や色調に特に新鮮な印象を受けた。さすがNHKは隙がない、などと感心までしてしまったものだ(大河ドラマよりも感情移入はし易い)。私は村上弘明という役者自体がもともと好きなので、それだけでも嬉しかったが、それだけでなく内容自体面白かったので、この作品は実に私の心を潤してくれた(それほど生活に疲れた中学生をやっていた訳でもないが)。村上弘明の特にいいところはその太刀筋(あくまで素人目の印象だけども)。激しくはないが重みがあり、真直ぐ振りおろされる剣先は大きな孤を描いていて迫力が合った。(刀を体に引き寄せて振るとどうしても一振りの迫力がなくなるし、そんなので人間の躰が切り落せるんだろうか、という感じにすらなってしまう)。ああこの人は剣道ではなく居合をやっているんだなあとそう思っていた。当時、居合をやっていた私はよく、あんなふうな素振りができたらなあ、と思って見とれていたのだ(腕に力がなかった私は素振りが大層苦手だった)。この作品は剣筋や構えにも個性を出して、剣の強い人は本当に腕が立つようにみえる見せ方をしていた。




5.『御家人斬九郎』



 現在フジTV系にてシリーズ3作目を放送中。私はこれにどうしようもなく惚れ込んでおり、語り__とどうなるか予測不可能なので、ここは簡単に済ませると、まあとにかく渡辺謙さんの松平残九郎が良いのだ。豪胆さ精密さを微妙なバランスで併せもち、全く油断も隙もない人。ただし、母親(岸田今日子)には弱い(あの母親にかなう者などそういないのだが)。縛られることのない人なので、逆に、武士道とかいったいろんなしがらみを抱えこんで生き急ぐ不器用な人間に惹かれるらしい、女にはそれ程でもないのに、そういった男にはよく惚れている(もちろん恋愛とは全然別の意味でである)。この話はそういった人間の精一杯の生き様をさり気なく表わしていて、まるで年末のスペシャル並の濃い内容の時さえある。破れ目一つなく“世界”が作られていて、ちゃんとそこは江戸時代なんだな、と安心できる世界がある。けっこう笑わせてくれるけど、いつも根底には物悲しさが漂っている。また残九郎(渡辺謙)の剣は激しい怒りだとかを叩きつけるようで、時々泣いている様に見えてしまうこともあるほどだ。話の中で私が特に良かったと思う回は「居残り」と「姉上」なんだが、人死にを出さずにあそこまで哀しくしみじみとした話ができるものとは思わなかった。大奥を題材にして、女の陰謀だとかいう話にならないのがこの話の面白いところ。あくまで静かではあるけれど、酷く哀しくなる、そんな所が本当に巧い作品。




6.『炎立つ』



 これは、3,4年前のNHKの大河ドラマ(時代劇とは少し違うが)。奥州藤原氏、初代経清が渡辺謙さんで、二代目清衡は村上弘明。という私にとっては夢のようなキャスティングだった。前年の『琉球の風』が、千年王国の夢について語って終ったので、その後にこれを持ってくるというのがなかなか面白かった。民族の意地や誇り、特に安倍の一族の中にある土臭くて荒々しい真直ぐさや藤原との他愛ないけれども絶対的な(こういったものは言葉にしてはいかんのだが)絆、それから女のどうしようもない浅ましさなど、こういった世界でしか表せないものをしっかり観せてもらった。取り敢えず、村上弘明は爽やかで優しい悟ったような役よりも、異父兄弟が溺れ死ぬ様を冷たく見下ろし、人が来たので仕方なく助けたのだと母親に言い放つぐらいに少々ねじ曲がった役の方が合っている、と実感した作品。







破天荒 平成9年度12月版より


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